レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月26日
- 登録日時
- 2020/03/11 16:51
- 更新日時
- 2024/01/15 11:26
- 管理番号
- 横浜市中央2575
- 質問
-
解決
横浜市都筑区の川和にある八幡神社について、
由緒や祭神、境内にある碑について書かれた資料を探している。
- 回答
-
・八幡神社
横浜市都筑区川和町2388にある神社で、祭神は八幡大神です。
詳しい創立年月は不明ですが、古くは河輪神社と呼ばれ、
川の神を祀っていたといわれています。
また、八幡神社の境内の碑は、同じく都筑区内にある川和富士から移設されたものです。
碑には、「昭和五十二年七月吉日 ニュータウン建設工事のため富士塚より遷す」
という文字が刻まれています。
以下、記載があった資料を紹介します。
また、碑と関係がある川和富士についての資料もあわせてご紹介します。
1 八幡神社について
(1)図書
ア『御大典記念都田村誌』 都筑郡都田村役場/編 都筑郡都田村役場 1929.5
p.4 八幡社についての記述があります。
p.110 「村社 八幡神社」 祭神や由緒などの記載があります。
イ『横浜緑区史 資料編 第1巻』
緑区史編集委員会/編 緑区史刊行委員会 1985.3
p.584 「八幡社」
八幡社の写真と、所在地や祭神などの記載があります。
ウ『歴史の舞台を歩く 横浜・緑区』 相澤雅雄/著 昭和書院 1991.6
p.108 「川和八幡と宿」
祭神や社名の由来などの記載があります。
エ『川和 創立四十周年記念誌』
創立40周年記念誌編集委員会/編 横浜市立川和小学校 1988.5
p.68 「八幡神社」
由緒と祭礼について記載があります。
オ『都筑の民俗 横浜市・港北ニュータウン郷土誌』
港北ニュータウン郷土誌編纂委員会/編 1989.5
p.474 「鎮守社と大祭日(61)」
鎮守社と大祭日が表になっています。表に川和と八幡神社の記載があります。
カ『都筑郡神社写真帳』 神奈川県神職会都筑郡支部/編 1921.1
下記の写真が掲載されています。
都田村川和 村社 八幡神社(其1)
都田村川和 村社 八幡神社大杉(其2)
こちらは横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」でも閲覧できます。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detail?cls=collect_01&pkey=00001810
キ『横浜歴史年表 複刻 上巻・下巻・索引合本』
横浜歴史年表編纂委員会/編 白話社 1973
p.331 1920(大正9)年12月(文化史)に「都田村の川和八幡神社が村社に指定
された」と記載があります。
(2)ウェブサイト
ア 神奈川県神社庁
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/shrine/1202121-000/
八幡神社(河輪神社)
所在地、祭神、祭礼について紹介されています。
2 碑について
(1)『横浜緑区史 資料編 第2巻』
緑区史編集委員会/編 緑区史刊行委員会 1986.12
p.494 川和町にある富士塚の記述の中に、港北ニュータウン建設のため取り壊さ
れたこと、石碑は川和八幡にてみることができるという記載があります。また、石碑
の建立についても記載があります。
(2)『歴史の舞台を歩く 横浜・緑区』 相澤雅雄/著 昭和書院 1991.6
p.120 「池辺と川和の富士塚」
冨士講と、川和富士についての説明があります。その中で、碑についても触れられて
います。また、碑が以前置かれていた川和富士の写真が掲載されています。
(3)『青葉区域の富士塚めぐり』 横浜あおば史談会/編 横浜あおば史談会 2017.12
p.28 「昔の石塔類はいまどこにありますか?」
川和八幡神社の境内に祀られていること、石碑にはニュータウン建設工事のため
富士塚より遷すと刻まれているという記載があります。
p.31 川和富士や石碑の写真が掲載されています。
(4)『川和 創立四十周年記念誌』
創立40周年記念誌編集委員会/編 横浜市立川和小学校 1988.5
p.64 「富士塚(川和富士)」
富士塚についての説明の中で、石碑が現在は八幡神社にあると記載があります。
(5)『港北ニュータウン今昔物語』 高齢者住宅財団住宅管理部/企画・制作
都市基盤整備公団神奈川地域支社居住環境整備・再開発部 2000
p.4 「頂上にあった浅間大神の碑は、川和神社境内に移されています。」と記載が
あります。
(6)『富士塚ゆる散歩 古くて新しいお江戸パワースポット』
有坂蓉子/著 講談社 2012.1
p.89 「26 【川和富士】」 碑が置かれていた川和富士の写真が掲載されています。
p.124 「注釈」に「信仰物は塚にはなく、すべてそこから西へ700mの八幡神社に
移されてある。」と記載があります。
3 川和富士について
(1)『川和の歴史』 横浜市立川和中学校/編 横浜市立川和中学校 1983
p.85~86 川和富士について記載されています。
また、破壊される前後の富士塚の写真も掲載されています。
(2)『都筑の民俗 横浜市・港北ニュータウン郷土誌』
港北ニュータウン郷土誌編纂委員会/編 1989.5
p.574 「川和の富士(52)」 川和富士の写真が掲載されています。
p.815 参考資料十五「富士塚築造扣」富士塚築造に関する資料が掲載されています。
(3)『横浜の町名』
横浜市市民局総務部住居表示課/編 横浜市市民局総務部住居表示課 1996.12
p.196~197 「川和町」
「区内に残る三つの富士塚である川和富士がある。」と記載があります。
※インターネット情報の最終確認日:2023年12月25日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 神社.神職 (175 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000275789