レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年3月18日
- 登録日時
- 2016/04/12 13:00
- 更新日時
- 2016/04/19 18:13
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2266
- 質問
-
未解決
文京区目白の田中角栄邸が、堀家の江戸屋敷だったそうだが、それが載っている地図はあるか。
- 回答
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田中邸が堀家の江戸屋敷だったことは、『堀家の歴史』(堀直敬著 堀家の歴史研究会,1967年刊)や複数のウェブサイトに記載がある(『堀家の歴史』では飯田藩堀家、ウェブサイトでは須坂藩堀家)。ただ当館所蔵の地図資料では、該当地に堀家の屋敷が記載されているものを見つけられなかった。
<参照した地図資料>
・『江戸城下変遷絵図集』(全22冊 原書房,1985-1988年刊)
・『江戸東京大地図』(平凡社,1993年刊)
・『復元 江戸情報地図』(吉原健一郎ほか編集 朝日新聞社,1996年刊)
・『5千分の1江戸-東京市街地図集成(日本近代都市変遷地図集成)』(柏書房,1998年刊)
また、『藩史大事典』(全8冊 雄山閣出版,1988-1990年刊)で堀家の藩である飯田藩(長野県)、須坂藩(長野県)、椎谷藩(新潟県)、村上藩(同)、村松藩(同)の項を参照するが、目白に藩邸があるとの記載があるものは見つからなかった。
- 回答プロセス
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1 質問者がすでに参照していた『堀家の歴史』p.611には「田中先生のお話に、現在ご住居の目白台のお屋敷を買われるとき、椎谷堀家の旧邸というので飛びついて買ったところ、のちになって飯田堀家の旧邸であったとのことであります。」との記載がある。
2 質問者から依頼のあった『江戸城下変遷絵図集』のほか、江戸時代の絵図と現代の地図を対照できる資料を参照。
・『江戸城下変遷絵図集』(全22冊 原書房,1985-1988年刊) … 別巻1に人名で引ける索引があるが、目白台に屋敷がある堀氏は見つからなかった。
・『江戸東京大地図』(平凡社,1993年刊) … p.109に周辺の地図(幕末期の江戸切絵図)が掲載されている。堀姓の記載見つけられず。位置的には「小笠原信濃守」(安志藩(兵庫県))か「稲垣摂津守」(鳥羽藩(三重県))の藩邸が近いか。
・『復元 江戸情報地図』(吉原健一郎ほか編集 朝日新聞社,1996年刊) … p.20に周辺の地図(現代の地図に「雑司ヶ谷音羽絵図」を重ねたもの)。記載については上記と同じ。
・『5千分の1江戸-東京市街地図集成(日本近代都市変遷地図集成)』(柏書房,1998年刊) … p.140~147に年代別の周辺の地図を収録。堀姓の記載見つけられず。安政年間の地図の記載は、上記と同じ。
3 『堀家の歴史』およびWikipediaより堀家の藩をピックアップし、これらについて『藩史大事典』を参照(上記)。
4 ウェブサイトを検索。「週刊長野記事アーカイブ 足もと歴史散歩126 奥田神社 ~田中角栄首相が突然表敬~」では、信濃毎日新聞の記者が郷土史家からの情報として「私邸の通称"目白御殿"は須坂藩・堀家の江戸屋敷だった」ことを伝えたとある。須坂市が運営する「信州須坂のおたからウェブサイト」の奥田神社のページからも、上記ページにリンクが張られている。
・「週刊長野記事アーカイブ」:http://weekly-nagano.main.jp/2011/12/126.html 2016年4月確認
・「信州須坂のおたからウェブサイト」・奥田神社:http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=571 2016年4月確認
5 『須坂藩主堀家の歴史』(廣瀬紀子著 長野郷土史研究会,刊行年不明)を参照したが、関連する記載を見つけられず。
- 事前調査事項
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『堀家の歴史』にあった。当館所蔵の『江戸城下変遷絵図集』に載っていないか。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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・堀家は現在の岐阜市茜部出身の戦国武将・堀秀政が有名。ただし上記の藩は秀政の家系ではなく、その家臣の堀直政(奥田直政)を祖とする。他に秀政の弟・利重を祖とする玉取藩(茨城県)があるが廃藩。
・該当地で絵図に記載のある「小笠原信濃守」の安志藩は、小笠原秀政(一時は飯田藩主)を祖先とする。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000191009