レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月18日
- 登録日時
- 2012/11/28 11:55
- 更新日時
- 2013/02/21 14:18
- 管理番号
- 相市-H24-011
- 質問
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未解決
古淵(相模原市)と、本町田(町田市)に、「イデノサワ」という地名がある。なぜ2ヶ所にあるのか知りたい。
- 回答
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下記資料より、境川流域の広い地域にあった地名のようである。
『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011 〔K1-21・s23504962〕 P.31
- 回答プロセス
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自館OPACにて”イデノサワ”で検索。
『さがみはら石仏夜話』 つちのえ会/編 丸井図書出版 1978 〔K1-38・s22886477〕
→P.45~ 「井出の沢合戦の供養塔」について記述あり。
P.46~47 「井出の沢合戦の場所は、町田市内とされているが、足利方が守る最後の線、境川を目指して
殺到して来た北条軍との合戦が、この辺一帯において行なわれたものと思われる」とあり。
『かながわ史話』 権守桂城/編 昭和書院 1981 〔K0-21・s01751999〕
→P.84 「現在の町田市本町田にも井出の沢と呼ばれる所があり、古戦場の跡を留めているので、戦いは
この地域から市域井出の沢に及んで展開したものと思われる」とあり。
『雑学風来帖 炭屋稼業五十年』 大淵精一/著 丸井図書出版 1982 〔K1-09・s08081945〕
→P.213 「今も古渕地区には旧道跡を見ることができる。この道の傍に綺麗な水の湧き出る井出の沢と
呼ばれるところがあり」とあり、イデノサワは古淵にあった水場であることがわかる。
また、P.215の記述から、横浜線開設の不用土処理のため、埋め立てられたこともわかる。
『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011 〔K1-21・s23504962〕
→P.31 「このいでのさわの地は、古淵の外に、町田市本町田にあります。いずれにしても、いでのさわは
鎌倉街道の要衝の地であって、境川流域の広い地域を言ったのではないでしょうか」との記述あり。
また、写真中の看板の解説に、「『井出の沢』とは、お堂の西側をながれていた小沢のことです」の記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『わたしたちの街 古淵』 古淵自治会50周年記念事業実行委員会 2011
- 『さがみはら石仏夜話』 つちのえ会/編 丸井図書出版 1978
- 『かながわ史話』 権守桂城/編 昭和書院 1981
- 『雑学風来帖 炭屋稼業五十年』 大淵精一/著 丸井図書出版 1982
- キーワード
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- いでのさわ
- 井出の沢
- 古淵
- 本町田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000115003