レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年01月31日
- 登録日時
- 2020/12/16 17:21
- 更新日時
- 2021/03/11 16:52
- 管理番号
- 新県図-01441
- 質問
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解決
新潟県の牛車台数が急増した事実とその原因について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、下記(1)(2)の資料に牛車の台数について記述がありました。
また、下記(3)~(7)の資料に牛車の増加に関連する記述が見つかりました。ただし、いずれも簡易な記述です。
そのほか、下記(8)~(13)の資料なども調査しましたが、牛車の増加に関連する記述は見つかりませんでした。参考までに申し添えます。
(1)『新潟県史』資料編第17 近代第5 産業経済編第1(新潟県/編 新潟県 1982)
p543「3 諸車」の表に、明治16年~昭和12年までの新潟県内の牛車台数の変遷が示されています。そのうち大正14年、昭和1~3年の数値は依頼文と同じ値です。
(2)『新潟県統計書』昭和4年(新潟県総務部統計課/編 新潟県総務部統計課 〔出版年不明〕)
p145「60 諸車」(三月三十一日現在)の表に、大正15年~昭和5年までの新潟県内の牛車台数の変遷が示されています。数値については大正15年が849、昭和2年が2,349と依頼文と1年ずつずれています。なお、表の下に「本表ハ有税車ノミヲ掲ク」と記述があります。
なお、同資料は国立国会図書館デジタルコレクション[http://dl.ndl.go.jp/]からデジタル画像で閲覧することができます。
(3)『新潟の米百年史』(新潟県農林部/編 新潟県農林部 1974)
p95~97「中正13昭~昭和3年」(「大正13年~昭和3年」の誤字と推測されます)の項に、「(前略)この期になると一般農家の荷車の導入は普遍化し、加えて大正中期乾田団地造成指導、牛馬耕による深耕効果指導の普及もあり、牛馬車を圃場に引き入れる農家も多くなり、」と記述があります。
(4)『50年のあゆみ』(新潟県交通安全協会/[編] 新潟県交通安全協会 1998)
p24~28「2 昭和前期の交通機関」内p27で昭和元年から12年までの牛車の増加について「道路が悪いので速度の遅い牛車がちょうどよかったのであろうか。」と記述があります。なお、台数の統計値は下記(2)の資料を参考にしています。
(5)『背負う・担ぐ・かべる』(木下忠/編 岩崎美術社 1989)
p166~191「新潟県蒲原地方のイネの収穫作業における運搬の慣行等について」内p181~182で新潟市河渡の事例として「農家で馬飼わぬ家はなかった位だが、車を使うようになって、みな牛になった。」と、またp182で中蒲原郡横越村藤山の事例として「もとは馬で運んだ。(中略)昭和初に牛になり、牛に車をひかせた。」と記述があります。
(6)『新潟県の運搬具』(山口賢俊/著,新潟県民俗学会/編集 野島出版 1997)
p240~242「牛馬または牛馬車による運搬、その量など」の項に、上記(5)の資料とほぼ同じ記述があります。
(7)「荷車の製造」(佐藤シヅ/著 『高志路』290号 新潟県民俗学会 1988 p26~29)
p26「1.荷車の種類」の項に(牛車について)「初めは馬だけが引いていたものだが、戦争で馬が徴用にとられ、いなくなったので、代わって牛が引くようになった。」と記述があります。ただし、いつ頃のことかについての記述はありません。
(8)『新潟県史』別編1 年表・索引(新潟県/編 新潟県 1989)
(9)『新潟県史』資料編第22、23 民俗・文化財第1、2 民俗編(新潟県/編 新潟県 1984)
(10)『新潟県大百科事典』上・下・別巻(新潟日報事業社/編 新潟日報事業社 1977)
(11)『越のみち』(安島武俊/執筆 新潟日報社 1989)
(12)『近代の交通史』(新潟県社会科教育研究会/編 新潟県社会科教育研究会 1984)
(13)『新潟県畜産誌』(釼持計夫/著 釼持計夫 1985)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000290808