レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/03/04
- 登録日時
- 2016/03/31 00:30
- 更新日時
- 2016/11/05 16:10
- 管理番号
- 0000001356
- 質問
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解決
『加賀藩史料』第8編p135の「変異記」よりの記述、「上口御関所足軽之境伝馬持より出火之所」とあるが、出火元の場所の意味を知りたい。
- 回答
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(1)『石川県災異誌』p26に同じ「変異記」の記述を口語訳し、「大聖寺の上口関所足軽の境伝馬場から出火」という表記になっています。
(2)(1)の字の読み方が『加賀藩史料』と異なるので、当館所蔵『変異記』坤(上記記述の原本)を確認してみました。「上口御関所近足軽之境伝馬持より出火」とあります。
(3)原本の記述から回答することにしますと、
「上口」は、『加賀市史 通史』上巻p727によりますと、「越前への通路は「上口(かみぐち)」であり、中町から越前町・関町に通じ、ここに関所が設けられ、奥村・吉田・寺田らの武士が近くに住んでいた」とあります。関所は、同書p726「第44図 武士・町人居住区分外略図」によると、大聖寺城下の西の端にあったことがわかります。
(4)つまり、関所近くに住む足軽の、「境伝馬持ち」だと考えられます。
「境伝馬」という用語は見つかりませんが、『大聖寺藩史』p899~908には、足軽が飛脚を担っていた記事がありますので、「境伝馬」を持っていた足軽という意味で良いかと思われます。
(5)ちなみに、『大聖寺藩史』p942掲載の史料「宝暦十歳庚辰二月七日火災一件類焼等覚」によりますと、火元は
「中新道袋町名代津波倉屋市右衛門後家、本家主定番足軽、当時江戸詰庄田治兵衛」とあります。
(6)江戸時代の『大聖寺町割之図』(何年の時の絵図かは不明です。嘉永7年写)を確認しても、足軽の名前の表示がありませんが、関所近くの関町には「足」とある足軽の居住地は確認できます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 1 石川県災異誌 石川県農林部∥共編 金沢地方気象台∥共編 気象協会金沢支部 1961 K209.07/15
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2 変異記 坤 K209.07/4 -
3 加賀市史 通史 上巻 加賀市史編纂委員会∥編 加賀市 1978 K228/10/5 -
4 大聖寺藩史 大聖寺藩史編纂会∥編 江沼地方史研究会 1975 K227/3 -
5 大聖寺町割之図 森田柿園写 1860 K290.3/144
- キーワード
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- 大聖寺町
- 加賀市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000190453