レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月18日
- 登録日時
- 2021/08/07 12:48
- 更新日時
- 2021/08/15 09:25
- 管理番号
- 地-210010
- 質問
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解決
1 明治30(1897)年に鎌倉に創立された「師子王文庫(ししおうぶんこ)」の詳しい場所、そしていつまであったのか。
2 田中智学(ちがく)が創立した国民劇研究会(1921(大正10)年創立)と国性文芸会についてどんな活動を行っていたのか。
- 回答
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1 明治30(1897)年に鎌倉に創立された「師子王文庫」について
1-1 詳しい場所
・『日本の師表田中智学』日本国体学会編 錦正社 1968
「第1章 田中智学先生の生涯」の中に「九 要山師子王文庫時代(自明治三十年至明治四十二年)」が立項されている。(p37~52)。
p37に「そしてかねて交渉中の地を山之内の寿司鉄から買入れ、師子王文庫建設に取りかかられたのである。この地は扇ヶ谷の奥に位する萱山でその麓につづく掌ほどの平地を含めて二三千坪のところ、(以下略)」と記載されている。
・『国柱会百年史』 国柱会 1984
「第4章 教学の振興」の中に「鎌倉に師子王文庫を創設」(p95~96)が立項されている。p96に「明治三十年、鎌倉扇ヶ谷の一角、亀ヶ谷坂の切通しに沿った地点に、師子王文庫が開設された。地形が扇の要に似ているので要山と名づけ、庭を造ってのち香風園と称した。」と記載されている。
いずれにしても地番は明記されていない。
1-2 いつまであったのか
・『国柱会百年史』 国柱会 1984
「国柱会百年史年表」(p282~315)の「明治四十三年(1910)7月」に「三保最勝閣の工事一段落をつげ、師子王文庫を移す。」との記載がある。(p291)
2-1 国民劇研究会の活動
2-2 国性文芸会の活動
・『日本の師表田中智学』日本国体学会編 錦正社 1968
「第1章 田中智学先生の生涯」の中に「十三 市川国性文芸会時代(自大正十一年
至大正十二年)」が立項されている(p76~82)。
この章には、田中智学の国性芸術、両会についての記載がある。
・『国柱会百年史』 国柱会 1984
p154~159「国性劇・国性文芸会」、p155~156「国民劇研究会」がそれぞれ立項されている。
p156~159「国性文芸会」についての記載がある。
・『田中智学先生略伝 改訂版』田中芳谷著 師子王文庫 1974
p257「国民劇研究会」についての記載が14行に渡って記載されている。
p261~「国性文芸会」についての記載がある。
・『明治の仏教者 下』 常光浩然著 春秋社 1969
明治後期(二)の中に「田中智学」が立項されている(p126~136)。p135~136に「国性文芸会の設立」が立項されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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1 師子王文庫は、国柱会(元:立正安国会、日蓮宗)の関係団体で明治30年に鎌倉に設立され、その後東京に移転した。
2 国柱会の田中智学は昭和14(1939)年に没。戯曲を書いていた。『師子王全集 戯曲編』田中智学著 師子王全集刊行会 1936~1937ので戯曲は掲載されているが、解説等がないため、詳細がわからない。なお、吉田久一が『現代日本思想体系』筑摩書房の中で、田中智学を紹介している。
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 田中智学
- 師子王文庫
- 国柱会
- 国民劇研究会
- 国性文芸会
- 鎌倉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000302916