レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/04/15
- 登録日時
- 2020/09/16 00:30
- 更新日時
- 2020/09/16 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200356
- 質問
-
解決
伊達秀宗と一緒に宇和島に移った家臣や名取の人々についての資料はあるか。
- 回答
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宇和島に移った人々に関する資料として下記資料を御紹介します。※【 】内は当館請求記号です。
1 家臣団について
資料1 近代史文庫宇和島研究会編『家中由緒書 上』 近代史文庫宇和島研究会, 1978【218.3/ウ1/4】
資料2 家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典 6』新人物往来社, 1989【281.03/87Z/6R】
資料3 長谷川成一「本・支両藩家臣団の成立と構成―伊予宇和島藩と吉田藩―」『東京大学史料編纂所報』東京大学史料編纂所, 9号(1974)【PA210/ト】
2 名取郷から移った人々について
資料4 『愛媛県史 地誌 2』愛媛県, 1985【218.3/エ3/23】
「第三章 八幡浜市とその周辺」-「第二節 農業・畜産業・水産業」-「五 八幡浜地方の漁業」の項
p.273「(前略)伊達藩の転封と共に東北の名取郷の人が狩場や山の番人として入って開拓したのが名取で三崎の定置網漁業の中心となり,上場は海士,下場または下手は網,一本釣の特色ある漁業として発展した。(後略)」
「第三章 八幡浜市とその周辺」-「第五節 都市・村落・観光」-「五 佐田岬半島の集落」の項
p.370「(前略)名取は,慶長二〇年(一六一五)藩主伊達秀宗入国の際,同行した仙台藩名取郷出身の軍夫が定着した集落といわれている。(後略)」
資料5 大島暁雄[ほか]編『日本民俗調査報告書集成 32』三一書房,1997【382.1/94Y/32】
pp.581-648「三崎半島地域民俗資料調査報告書」のうちp.614「三崎牛」の項
「三崎牛の起源は遠く宇和島藩主伊達秀宗が仙台より宇和島入国に始まるといわれている。秀宗は,宇和島入国の際,奥州名馬の産地,名取(宮城県名取郡)より百姓を迎えて,三崎半島一帯にできる牧草を利用し,西宇和郡及び八幡浜市を中心に大いに馬を奨励したといわれ,この名残が三崎半島神松名村に名取という地名として残っている。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 近代史文庫宇和島研究会/編. 家中由緒書 上. 近代史文庫宇和島研究会, 1978.11【218.3/ウ1/4】:
- 家臣人名事典編纂委員会/編. 三百藩家臣人名事典 6. 新人物往来社, 1989.10【281.03/1987.Z/6R】:
- 東京大学史料編纂所. 東京大学史料編纂所報. 東京大学史料編纂所, 1967.3-【PA210/ト】:
- . 愛媛県史 地誌 2. 愛媛県, 1985.3【218.3/エ3/23】:
- 大島 暁雄/[ほか]編. 日本民俗調査報告書集成 [32]. 三一書房, 1997.6【382.1/1994.Y/32】:
- 宇和島市誌編纂委員会∥編集. 宇和島市誌 上巻. [宇和島市], 2005.1【218.3/2005.1/1】:
- 宇和島市誌編纂委員会∥編集. 宇和島市誌 下巻. 宇和島市役所, 2005.3【218.3/2005.1/2】:
- . 日本歴史地名大系 39. 平凡社, 1980.11【291.03/ニ12/39R】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編4. 仙台市, 2003.2【K225/セ1-13/エ4】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編5. 仙台市, 2004.3【K225/セ1-13/5】:
- キーワード
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- 伊達, 秀宗(ダテ, ヒデムネ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287148