レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20211103
- 登録日時
- 2022/01/22 00:30
- 更新日時
- 2022/01/23 15:01
- 管理番号
- 0000202085
- 質問
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解決
谷口藍田とフルベッキに交流があったというのは本当か。
- 回答
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次の資料に記載がありました。
(1)『儒学者谷口藍田』 浦川 晟/著 明徳出版社 2014
p.88-89 ~慶応元年(一八六五)、藍田四十四才の時京都の大徳寺でアメリカ人、フルベッキと会見をし、フルベッキの依頼で藍田はフルベッキに和漢の学問と日本語を教え、フルベッキからは西洋の事情や学術(英語)について多くのことを学んでいます。その年藍田は長崎に塾を開いています。~その二人の外人教授フルベッキ、ウィリアムは藍田塾に入門し、和漢学、日本語を本格的に習っています。また藍田もこの二人から英語を学び、西洋の事柄や文化、学術について学ぶ事、大であったと思われます。
(2)『谷口藍田』 井手 誠二郎/著 ショップアリタ 1995
p.11-12 このような情勢のなか、藍田は慶応元年(1865)3月長崎を訪れた。~英学校「致遠館」にはアメリカ人宣教師フルベッキやウィリアムスが教授として招聘され、大隈八太郎(重信)~などが教えを受けていた。藍田の名声を聞いたフルベッキやウィリアムスは彼を尋ねて教えを請うた。藍田は彼等に陰騭録や皇漢学・日本語を教授し、彼等から広く欧米の現状や学術政治などを聞き、新しい外国の情勢に強く引かれ、交遊をかさねていった。~またフルベッキ等から聴いた諸国の情況も詩に託している。
p.24 藍田年譜 【年代】慶応1(1865)【年齢】44【事柄】フルベッキ・ウィリアムスに教える(大徳寺)
(3)『佐賀新聞 平成30年7月7日』 13面
「=さが維新ひと紀行=(27) 異文化受容の儒学者・谷口藍田(1822-1902) 進取の気風各地で私塾」
1865(慶応元)年に長崎を訪れた際、名声を聞いた米国の宣教師らに請われ儒学を講義する。彼らは、のちに佐賀藩が設けた藩校「致遠館」で教壇に立ったフルベッキたちだった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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(1)浦川晟 著 , 浦川, 晟, 1933-. 儒学者谷口藍田 新版. 明德出版社, 2014.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025314846-00 , ISBN 9784896199833 -
(2)井手 誠二郎/著. 谷口藍田 : 旅に生きた儒学者の生涯. ショップアリタ, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070843506-00
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(1)浦川晟 著 , 浦川, 晟, 1933-. 儒学者谷口藍田 新版. 明德出版社, 2014.
- キーワード
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- フルベッキ
- 谷口藍田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000311036