レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月19日
- 登録日時
- 2013/08/19 15:21
- 更新日時
- 2023/03/23 13:41
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-63
- 質問
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解決
明治以降昭和初期にかけて,南禅寺周辺に建てられた別荘庭園について知りたい。
- 回答
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南禅寺(京都市左京区)は,慶応4年(1868)の神仏分離令・明治4年(1871)の社寺上知令により,現在の境内地を除いた全ての寺領を失いました。また,翌年の無檀無住寺院の廃寺令や明治11年の合寺令によって,明治3年には25あった塔頭の内,17院を失いました。これらの旧境内・塔頭跡地は民間へと払い下げられ,明治20年代後半から昭和初期にかけて,この地に多くの別荘庭園が生み出されました。これらの庭園を総称して,「南禅寺界隈別荘庭園群」といいます。
これらの庭園のほとんどは,七代目小川治兵衛(通称植治)が作庭したものです。東山の景観と琵琶湖疏水の水を利用した植治独特のデザインは,山縣有朋の別荘・無鄰(隣)庵(むりんあん)にはじまり,平安神宮神苑の作庭を経て,對龍(たいりゅう)山荘庭園で確立したとされます。
庭園群を生み出した要因のひとつに,琵琶湖疏水計画があります。この計画は,明治時代に行われた京都の近代化政策における最も大きな事業で,明治18年(1885)6月に着工しました。
疏水建設の目的のひとつに,水車の動力による製造業の近代化があり,南禅寺界隈を含む岡崎一帯の土地も工業地化されようとしていました。しかし,水車から水力発電へと計画が変更され,電線によって市内各地への供給が可能となったことから,岡崎一帯が工業地化される必要はなくなり,水車の利用価値も失われました。京都市からこの水車の権利(水利権)を買い取った塚本与三次との連携が,植治の南禅寺界隈での作庭活動を活発化させたと言われています。
また,初代京都市長・内貴甚三郎は,明治33年(1900)の市会で百万人都市を想定した地域別都市開発構想を提案しました。その中で,“東方ハ風致保存ノ必要アリ”とされ,東山一帯の風致の保存と宅地化の方針が打ち出されました。こうした動きの中で,工業地化をまぬがれた南禅寺周辺の別荘地化が進展していきました。
南禅寺界隈に庭園がつくられた経緯については,【資料1】【資料4】【資料5】【資料7】【資料8】に詳しく,
それぞれの庭園については,【資料1】【資料3】のほか,参考資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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●京都の庭園に関する資料から 【資料1】~【資料3】
【資料1】 p63~185 “庭の概要”,p187~188 “岡崎並びに南禅寺界隈の変遷”年表あり
【資料2】 無鄰庵・對龍山荘・白河院庭園の解説・平面図あり
【資料3】 無鄰庵・對龍山荘・織宝苑・碧雲荘・何有荘(かいうそう,旧和楽庵)・稲畑邸・ 清風荘・真々庵・菱田邸・細川邸・つる家 解説あり
●小川治兵衛(植治)に関する資料から 【資料4】~【資料7】
【資料4】 p13~16 “南禅寺界隈疏水園池群の成立” 疏水の水を利用した庭園の水系について
【資料5】 無鄰庵・對龍山荘・織宝苑・清流亭・碧雲荘・怡園(いえん) 解説あり
p210~215 “別荘庭園群の成立”
【資料6】 洛翠庭園・無鄰菴について詳しい
【資料7】 植治の作庭活動や,南禅寺界隈別荘庭園群の水系について詳しい
●京都の別荘・邸宅に関する資料から 【資料8】【資料9】
【資料9】 對龍山荘の写真集,解説も詳しい
p5~9 “對龍山荘-植治と島藤の技”,p191~201 “對龍山荘の庭園”
●琵琶湖疏水に関する資料から 【資料10】
・疏水分線路が水路を断ち切ってしまったため,償還水として疏水の水を無料分水することになったことが庭園地帯開発の誘い水となったとあります。
・主要な庭園として,無鄰菴・瓢亭・何有荘・対龍山荘・旧環翠庵(現聚洗荘)・智水庵・清流亭・旧居然亭(現存せず)・洛翠荘・聚遠亭(現真々庵)・有芳園(ゆうほうえん)・稲畑邸・中山邸・上田邸・碧雲荘・和輪庵・白河院・織宝苑・怡園・つる家を挙げています。(各庭園の解説はありません)
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『岡崎・南禅寺界隈の庭の調査』(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 2012)
- 【資料2】『庭園の系譜』(京都市文化市民局文化部文化財保護課 2005) p71~78
- 【資料3】『中根金作京都名庭百選』(中根金作/著 淡交社 1999) p380~422,447~450
- 【資料4】『七代目小川治兵衛』(尼崎博正/著 ミネルヴァ書房 2012)
- 【資料5】『植治の庭』(尼崎博正/編 淡交社 1990)
- 【資料6】『「植治の庭」を歩いてみませんか』(11代小川治兵衛/監修 白川書院 2004)
- 【資料7】『庭石と水の由来』(尼崎博正/著 昭和堂 2002) p263~318 “小川治兵衛(植治)が活用した水系と庭石”
- 【資料8】『野村美術館研究紀要 第5号』(野村美術館学芸部/編集 野村文華財団 1996) p78~98 “近代京都の東山における別荘地の形成と数寄空間”
- 【資料9】『對龍山荘』(尼崎博正/監修 淡交社 2007)
- 【資料10】『琵琶湖疏水の100年 叙述編』(京都新聞社/編集 京都市水道局 1990) p357~359 “南禅寺界わいの庭園群”
- キーワード
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- 南禅寺界隈別荘庭園群
- 小川治兵衛
- 植治
- 庭園
- 別荘
- 南禅寺
- 岡崎
- 琵琶湖疏水
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000135509