レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月19日
- 登録日時
- 2020/03/26 17:15
- 更新日時
- 2020/03/26 18:09
- 管理番号
- 横浜市中央2582
- 質問
-
解決
現在の横浜市港南区にあったといわれる「関城」について書かれた資料はあるか。
- 回答
-
1 現在の横浜市港南区の地番と結びついて「関城」が記述されているものに
以下の資料があります。
(1)『横浜市文化財地図』 横浜市教育委員会事務局社会教育部文化財課
横浜市教育委員会社会教育部文化財課 1992.3
p.100 地図 遺跡番号が振ってあるので、p.101と照らし合わせることで、
関城があった場所を知ることができます。
p.101 関城の跡について、解説があります。
<港南区7-(1)>遺跡番号:81 所在地:野庭(のば)町613付近 種類:城跡
地目:公園・宅地 立地:台地上 規模:(無記入) 時代・時期:鎌倉?
備考:野庭関城、大部分破壊 文献:393(『日本城郭大系 6』)
(2)『日本城郭大系 第6巻』平井聖/[ほか]編 新人物往来社 1980.2
p.313 野庭関(のばせき)城
所在地、別称、創築年代、創建者、形式、遺構、規模、文化財指定の有無、
関係主要文献が書かれています。
①横浜市港南区野庭町613番地(鎌倉郡上野庭村) ②(無記入)
③鎌倉時代初期か ④(無記入) ⑤台地構 ⑥土塁か
⑦一〇〇m×一八〇m(本城のみ)、標高八〇m、比高四〇m
⑧(無記入) ⑨『北条九代記』『新編相模国風土記稿』『野庭の今昔』
文章の説明としては、「後北条氏玉縄城の支砦として当時の野庭の領主石巻康保・
安藤良整などの時代からである。(中略)天正十八年の小田原戦役以後は、山林や畑
となっていた。現在は市営野庭団地となって、(中略)公園があり、このあたりが本
城であったと伝えられている(中略)」などとあります。
2 「関城」について記述のある資料には以下のものがあります。
いずれも詳しいものではなく、ほとんどが伝承としての扱いのようです。
(1)『野庭の今昔』常盤台万三/著 [常盤台万三] 1977.8
p.65 「四 関城の砦」の項目があります。
(2)『こうなんの歴史散策 港南歴史散策の会100回の記録』 馬場久雄/著
深谷臣功/編集・写真 遠藤吉隆/編集・写真 港南歴史協議会 2010.9
p.211 「関城」と鎌倉道の項目があります。
(3)『永野郷土誌』 永野郷土誌編纂委員会/編 永野連合町内自治会 1972.11
p.104 「十二 口碑・伝説」の項「13 関城台」に短い記述があります。
(4)『港南の歴史と文化』 伊藤武/著 港南歴史協議会 2008.8
p.253~254 「6章 野庭町、上永谷町、日限山、丸山台
6史跡・石仏 6-6野庭神社・浄念寺付近(10)野庭の関城跡」の項目があります。
場所の記述は「野庭団地内、野庭中央公園の高台付近一帯」とあります。
口絵カラー写真に「関城跡」があります。
(5)『港南の歴史 区制10周年記念』
港南の歴史発刊実行委員会/編 港南の歴史発刊実行委員会 1979.10
p.757 「伝説」の項に「関城跡(野庭団地一帯)」の記述があります。(関城跡の遠
望の写真あり)
(6)『お母さんが伝えるふるさと下野庭 ききがたり』
しものば郷土誌編集委員会/編 下野庭町内会 1988.2
p.9 「中世・鎌倉・室町時代」の項に「関城」に関する短い記述があります。
(7)『街づくりの歴史物語 こうなんの歴史アルバム』
港南歴史協議会/編 港南歴史協議会 2012.7
p.108~109 「中世(鎌倉~戦国時代)の港南」の項、「中世の歴史の遺跡」
地図の説明として関城についての説明があります。
(8)『こうなん道ばたの風土記』 港南の歴史研究会/編 港南の歴史研究会 1986
p.70 「四 野庭の関城跡」(せきしろのルビがあります)の項に記述があります。
(9)『神奈川県皇国地誌相模国鎌倉郡村誌』(神奈川県郷土資料集成 第12輯)
神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会/編集 神奈川県図書館協会 1991.1
p.201 「上野庭村(横浜市)」の「山」の項に「関城台」(せきしろだいのルビあり)
の記述があります。
(10)『郷土いずみ 第23号』 泉区歴史の会 2017.5
p.42 (泉小次郎の伝承として)「…『和泉往来』(森繁春 明治11年3月)は、
「親平は無双の勇士故其場を切抜ける、建暦二年なり、当国鎌倉郡野庭村関城に隠遁
す、千寿君者百姓に養育さる、今其子孫織茂氏と云、野庭村に有、(略)親平関城に
死す、(略)五代親平討死は建暦二年なり、」と記しています。」
の記述があります。
(11)『とみづか 第3号』 郷土戸塚区歴史の会1977.3
p.21~22「鎌倉街道周辺の旧家を訪ねて 太田勇」
「…森氏系図 祖先は源姓にて、愛甲郡毛利庄を領す。毛利と改め、のち関城に住み
関を苗字としたが、また森の一字に改む…」の記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000279596