レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月29日
- 登録日時
- 2020/03/04 11:52
- 更新日時
- 2020/03/04 15:30
- 管理番号
- 千県中千葉-2019-06
- 質問
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解決
大正時代に鴨川市の大山地区(八丁)で塾を開いていた、草間潜(潜は不確かです)氏について調べています。塾を開いていたお堂が火事になり、その責任を負ってその火に身を投じ亡くなった方です。
事件が大正12(1923)年4月末という事しか情報がありません。
- 回答
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【資料1】『吉尾のあゆみ』(鴨川市史編さん委員会編 鴨川市教育委員会 2015)に「塾」について詳しく記載され、草間潜と事件についても記載があった。
p162 五 吉尾の教育 (四)私塾 八谿書院
「八谿書院 (中略) 長野県にあった松代藩(真田家)の士族といわれる草間潜が明治43年に八丁青年会の熱心な誘致運動によって開いた塾である。(中略)大正12年3月7日午後7時、門生の退散した後、書斎から出火し書院及び多数の書籍が消失した。(中略)(八丁区「大正12年9月記八谿書院事跡)」
【資料2】『自由党史 下』(岩波書店 1978 明治43年刊の復刻)
p366 全国有志の大阪大会(明治22年10月開催)における来会人名の中に「長野県 草間潜」とあった。
- 回答プロセス
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1 過去の新聞記事を調査
以下の当館で所蔵している大正12年4月~5月の新聞やデータベース(地域版、全国版)を調査するが、事件についてはヒットしなかった。
『千葉庶民新報』、『東京日日新聞 千葉版』、読売新聞データベース「ヨミダス歴史館」、朝日新聞データベース「聞蔵2ビジュアル」
2 人名辞典を調査
『房総人名辞書』(千葉毎日新聞社 1909)
『房総紳士録 大正11年版』(多田屋書店 1922)
『房総町村と人物』(多田屋書店 1918)
何れも「草間潜」の記載がなかった。
3 市町村市史を調査
『鴨川市史 通史編』(鴨川市史編さん委員会編 鴨川市 1996) 記載なし
八丁(大山地区)ということなので、『大山のあゆみ』(鴨川市史編さん委員会編 鴨川市教育委員会 2002)にあたるが、記載がなかった。『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)巻末の小字一覧(鴨川市)に、「八丁」が大字名(中に小字名「八丁」を含む)として記載されていたがどの地区にあたるかは分からなかった。
4 大正期の鴨川市の町村を調査
『鴨川市史 通史編』(鴨川市史編さん委員会編 鴨川市 1996)p598-601「長狭郡と朝夷郡の町村合併」によれば、明治22年の町村合併により、長狭郡が11町村となり、現鴨川市の行政区域としては1町8村(太海村、鴨川町ほか)になったことが記載されており、それぞれ町村史が刊行されていたので確認したところ、各巻末に小字一覧が付いており、【資料1】により「八丁」が吉尾村大川面の小字であることが分かった。
5 【資料1】にあたる。
6 ジャパンナレッジで検索
「草間潜」で見出し、全文ともヒットせず。
7 google booksで検索
「草間潜」で検索し、【資料2】を得る。
8 回答作成後に、大正12年3月の次の新聞を見ましたが、記事は掲載されていませんでした。
『千葉庶民新報』、『東京日日新聞 千葉版』
過去のレファレンス協同データベース事例にこの事件の新聞記事の調査依頼が掲載されていました。https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000259598
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『吉尾のあゆみ』(鴨川市史編さん委員会編 鴨川市教育委員会 2015)(0201028549)
- 【資料2】『自由党史 下 岩波文庫』(遠山茂樹校訂 岩波書店 1978)(9101110982)
- キーワード
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- 草間 潜(クサマ セン)
- 鴨川市―歴史(カモガワシ レキシ)
- 千葉県―鴨川市(チバケン カモガワシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000275369