レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 岩手県立図書館 (2110044) | 管理番号 (Control number) | 岩手-364 | |||||||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 20200619 | 登録日時 (Registration date) | 2020年08月16日 16時00分 | 更新日時 (Last update) | 2020年10月30日 15時33分 | |||||||||||||||||
質問 (Question) | 太平洋戦争末期、盛岡駅に爆撃があったという話を聞いたことがある。それに関連する写真や資料はないか。 | |||||||||||||||||||||
回答 (Answer) | 盛岡駅周辺は昭和20年(1945)に2回にわたり空襲の被害を受けた。1度目は東京大空襲と同日の昭和20年3月10日、盛岡駅前にB29による焼夷弾が投下され、商店街と住宅160戸が焼失し3人の死亡者をだした。また、終戦間際の同年8月10日に再度空襲があり、国鉄盛岡工場が罹災した。盛岡駅前地区の空襲に関する以下の資料を紹介。 ・『駅・物・語MORIOKA JR東日本盛岡駅創業100周年記念誌』 JR東日本盛岡駅創業一〇〇周年記念誌編纂委員会 1990年 ⇒p.48 「戦争と鉄路」 “しかし、愛国心に燃えた女性職員や機関士たちに支えられた盛岡駅も、昭和二十年 八月十日の空襲で被害を受け、とりわけ盛岡管理部(盛鉄局の前身)の焼失は、 岩手県内の鉄道業務に計り知れない打撃を与えた。” ⇒p.160~163 「座談会 駅前商店街の変遷」 “戦争と商店街”、“駅前空襲のこと”といったトピックスあり。盛岡駅や付近の 様子について触れられている。 ・『岩手百科事典 新版』 岩手放送岩手百科事典発行本部∥編 岩手放送 1988年 ⇒p.213~214 <空襲> →p.213 “1945年3月10日に盛岡駅前がB29による焼夷弾を受け、商店街と 住宅160戸が焼失し3人が死亡したのをはじめ、(略)” →p.214 「盛岡空襲の翌日、駅前の焼け跡から学徒動員に出発する中学生」という 写真の掲載あり。 ・『岩手県戦災誌』 千田孝雄∥著 1988年 ⇒p.1~18 「一、第一次盛岡空襲」、「二、第二次盛岡空襲」 ・『戦時中の盛岡の子どもたち ジジからの絵手紙』 菅森幸一∥絵・文 盛岡タイムス社 2009年 ⇒p.73~80 「三月十日の大空襲(一)~(四)」 ⇒p.85~91 「八月十日の大空襲(一)~(四)」 ・『あなたの町で戦争があった 岩手の空襲・艦砲射撃』 加藤昭雄∥著 熊谷印刷出版部 2003年 ⇒p.2~10 「第一次盛岡空襲」 ⇒p.23~32 「第二次盛岡空襲」 ・『図説盛岡四百年 下巻2』 吉田義昭∥編著 及川和哉∥編著 郷土文化研究会 1992年 ⇒p.159 「空襲に打つ手なし・建物疎開」 ⇒p.430 「空襲・うなるサイレン」 “昭和20年8月10日午前二時、盛岡駅前から大沢川原、新築地にかけて 焼夷弾が投下された。” ・『会報戦中・戦後を語りつぐ会 <いわて> 第10号』 戦中・戦後を語りつぐ会(いわて) 2016年 ⇒p.21~22 「戦中・戦後の我が家について 駒井修」 ※ 「盛岡駅前被害図」として1945年3月10日の空襲で被害を受けた盛岡駅周辺の 図版あり。 ・『戦災復興誌 第5巻』 建設省∥編 大空社 1991年 ⇒p.6~7 「罹災状況」 ※p.7 に上記資料より大きめの同一図版「盛岡罹災状況図」掲載あり。 ・『B29墜落の謎と東北空襲 東京大空襲の夜』加藤昭雄∥著 本の森 2008年 ⇒p.96~102「岩手県盛岡空襲」 ※盛岡駅前の大火災、駅構内の火事について当事者の話等詳細な記述あり。 【参考:国鉄盛岡工場の空襲被害】 ・『ものがたり東北本線史』日本国有鉄道仙台駐在理事室 1971年 ⇒p.543~545「東北本線の空襲と被害」 →p.545「盛岡」 “20年3月10日の深夜2時ごろ、(略)盛岡駅前を中心にして工機部附近を含め 400個の焼夷弾が落とされた。(略) 駅施設にはほとんど被害はなかったが、 (略)客車の一部、事務室、更衣室、食堂などを焼いただけで済んだ。” “8月10日、11時40分ごろまた空襲があった。管理部や機関区は消失し、 駅の一部も被害があり、貨車を焼失したほか、職員に負傷者がでた。” ・『七十年史』日本国有鉄道盛岡工場 1962年 ⇒p.93~95「空襲を受く」 ※p.94「戦災建物調」国鉄盛岡工場の罹災図掲載あり。 ・『94年の譜』日本国有鉄道盛岡工場 1985年 ⇒p.30 「戦災建物図」上記と同一図掲載あり。 ・『盛岡鉄道管理局15年史』日本国有鉄道盛岡鉄道管理局 1966年 ⇒p.101「空襲砲撃闘う」 “空襲は盛岡にも行われ20年3月10日に続いて8月10日盛岡管理部が焼失し、 盛岡機関区、盛岡駅に若干の被害を受けた。” ・『100年の栄光 第10号』(合冊本)盛岡鉄道管理局 1973年 ⇒p.6「空襲」 “盛岡駅、盛岡機関区が空襲で被害をうけた(略)” ・『日本国有鉄道百年史 11』日本国有鉄道 1973年 ⇒p.424~425「20年8月10日関東・東北・新潟地区空襲」 →“①東北本線(略)盛岡駅構内管理部・工機部・機関区大破” ⇒p.433「戦災建物被害状況」 →磁石式交換所(工場施設) “工事事務所の戦災を受けた箇所は、五稜郭、盛岡(略)である。” 【追記】 盛岡駅前空襲関連の写真掲載資料の確認が取れたので、以下に追記する。 ・『岩手近代教育史 第2巻 大正・昭和(Ⅰ)編』岩手県教育委員会 1981年 ⇒p.1312-1313「盛岡駅前の空襲」 →「艦載機の盛岡市波状攻撃(昭和20年8月10日)」 「盛岡駅前空襲(昭和20年3月10日)」 ・『明日へつなぐ 岩手の昭和史』守屋光雄∥編集 岩手日報社 1975年 ⇒p.18「郷土にも戦火」 →「盛岡空襲の被災のあと」 ※上記の「盛岡駅前空襲」の写真と同一のものだが、サイズが大きくより鮮明な画像である。 | |||||||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | (1)太平洋戦争末期に当たる昭和19年(1944)から昭和20年(1945)の時期について 記載のある郷土関連資料を確認。 (2)盛岡駅に関する資料や国鉄やJRの周年史、記念誌等を確認。 | |||||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000285909 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |