レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年11月17日
- 登録日時
- 2023/02/14 14:59
- 更新日時
- 2023/02/14 14:59
- 管理番号
- 福郷-193
- 質問
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解決
福岡市にある大濠公園の歴史と、大濠公園日本庭園について知りたい。
- 回答
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1 大濠公園の歴史について
大濠公園の概要は以下の通り。
◆参考資料1『福岡県百科事典 上』
p.258「大濠公園 おおほりこうえん」の項に、以下の記述あり。
「福岡市中央区大濠にあり,舞鶴公園の西側に位置する。元来は黒田長政が福岡城築造のさい外堀として利用した草香江と称する博多湾の入り江であった。1927年(昭和2)に開催した東亜勧業大博覧会会場の造成と合わせて,1925年から埋め立てを行い、中国の西湖を模して公園を造った。」
「1929年(昭和4)に完成した。」
「園内には,福岡市美術館,武道館等があり,近年の公園利用の多様化に対応するため,公園南側1.2haの敷地に茶室,茶会所,池,流れなどを配した日本庭園を造成,公園の北西側には能楽堂を建設する。」
大濠公園の歴史について書かれた資料として次の資料を紹介する。
◆参考資料2『福岡市史 第4巻 昭和編』
「第六編 社会」中の「第一章 社会事象」p.312に「大濠公園(福岡市大名町)の完成(昭和五年三月)」の項あり。
公園の沿革や関連した新聞記事の抜粋、公園管理を担当していた元県土木課長の回顧録等が記載されている。
◆参考資料3『新修福岡市史 特別編[3] 福岡城』
p.256-274に「近代以降の大堀」の項あり。
明治、大正期から東亜勧業博覧会を経て、大濠公園としての開園、戦時下、現代の大濠公園に至るまでが、写真や図面を交えながら詳細に記述されている。
◆参考資料4『福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画』
『庭園』第七巻第九号(大正十四年九月刊 日本庭園協会)の記事を抜粋し、複製した資料。
「福岡県大堀公園設計平面図」が収録されているほか、林学博士本多静六、林学士永見健一の両氏による公園新設計画の概要説明と両氏の見解が記述されている。
なお、同資料は国会図書館デジタルコレクションで確認できる。
◇参考URL1「国会図書館デジタルコレクション」より「庭園7(9)」
(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1547221/1/ 5-9コマ及び13-20コマ 最終確認2023.2.2)
※同サイトでの公開範囲は「送信サービスで閲覧可能」である。
◆参考資料5所収「特集 みぎわの攻防-大濠公園前史-」市史編さん室
公園として整備される前の江戸時代の「草香江」や「大堀」や、公園管理者の変遷、漁場としての利用、環境悪化による埋め立て論等の記述がある。
◆参考資料6所収「特集 大濠公園百年」
大濠公園の歴史が当時の写真や出来事とともに紹介されている。
◆参考資料7所収「大濠公園(福岡市)『西湖モデル説』の追跡(1)-その発生と展開についての考察-」安倍健一
◆参考資料8所収「大濠公園(福岡市)『西湖モデル説』の追跡(2)-真偽についての基本的な検討-」安倍健一
◆参考資料9所収「大濠公園(福岡市)『西湖モデル説』の追跡(3)-シリーズ『歴史散歩』から登場-」安倍健一
◆参考資料10所収「大濠公園(福岡市)『西湖モデル説』の追跡(4)-地元新聞が踏襲して"定説"に-」安倍健一
「大濠公園は中国の西湖をモデルとして造られた」とする説の真偽を検証する連載記事。
◆参考資料11所収「大濠公園池浄化対策事業」島崎昌明
福岡県建築都市部公園下水道課長による大濠公園池浄化対策事業の説明。
事業の開始、終了時期については記述されていないが、「(2)準備工」の項にp.9「昭和63年3月に危険物の確認調査を実施」とある。
2 大濠公園の日本庭園について
次の資料を紹介する。
◆参考資料3『新修福岡市史 特別編[3] 福岡城』
p.272-273に「大濠公園日本庭園」の項があり、以下の記述がある。
「昭和二十六(一九五一)年に返還された県営プールは、浄化装置もなく、四、五日使用すると水は黒ずみ、不衛生で一週間おきに水替えをしなければならなかった。」
「昭和四十三(一九六八)から四十四年にかけて取り壊された。その跡には周辺を含めて国庫補助事業で、休憩所や壁泉・芝生広場・園路・植栽などが整備された。」
「しかし、昭和五十四(一九七九)年が大濠公園の開設五〇周年にあたり、その記念事業としてこの一帯に日本庭園を造ることとなり、一帯の施設はすべて撤去された。」
◆参考資料6所収「特集 大濠公園百年」
p.11に「日本庭園はプールだった!?」の見出しで「大濠公園の濠は(中略)釣り場やプール、そして船の競技コース(競漕場)が設けられていました。プールは県が運営し、(中略)浄化装置がなく数日の使用で水が黒ずみ、ろ過器を設置したものの水質の改善には至りませんでした。(中略)一九六六(昭和四十三)年に解体され、その跡地には一九八四(昭和五十九)年に日本庭園が造られました。」とある。
◆参考資料12所収「大濠公園内日本庭園設計について」福岡県造園業協会事務局
「大濠公園内日本庭園の建設計画」、「大濠公園内日本庭園基本設計説明」、「大濠公園内日本庭園実施設計」が掲載されている。
◆参考資料13所収「九州の名園を歩く パーク式庭園-大濠公園」原田栄進
p.130にて大濠公園日本庭園について記されており、「昭和五十九年に中根金作博士によって作庭されたものである。大池と築山の回遊式庭園で、布落ち滝、曲水の流れ、枯山水などの日本の伝統的な作庭技法が凝縮され、『日本庭園の教科書』ともいえる素晴らしい庭である。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 10版)
- 参考資料
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- 福岡県百科事典 上 西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部/編集 西日本新聞社 1982.11 K030//フ (p.258)
- 福岡市史 第4巻 福岡市/編 福岡市 1966 K226//フ (p.312-320)
- 新修福岡市史 特別編[3] 福岡市史編集委員会/編集 福岡市 2013.3 K226//シ (p.256-274)
- 福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画 本多 静六/設計 [福岡県立図書館] [2012] K629//フ
- 市史だより Fukuoka 26号 福岡市博物館市史編さん室 M/KC/2786 (p.2-7)
- 月刊はかた 2022年6月号 403号 エ-・ア-ル・ティ株式会社出版局 M/KC/1720 (p.2-19)
- 西日本文化 2014年2月 467号 西日本文化協会 M/KC/16 (p.18-23)
- 西日本文化 2014年4月 468号 西日本文化協会 M/KC/16 (p.10-15)
- 西日本文化 2014年6月 469号 西日本文化協会 M/KC/16 (p.6-11)
- 西日本文化 2014年8月 470号 西日本文化協会 M/KC/16 (p.18-23)
- 緑の道 1990年5月 9号 福岡県造園業協会 M/KT/1622 (p.7-15)
- 緑の道 1983年1月 福岡県造園業協会 M/KT/1622 (p.14-30)
- 海路【かいろ】 2010年3月 9号 海鳥社 M/KC/2672B (p.127-130)
- 「庭園7(9)」 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1547221/1/ (5-9コマ及び13-20コマ 最終確認2023.2.2)
- キーワード
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- 大濠公園 日本庭園 福岡市 公園 造園 大堀 福岡城 草ヶ江 黒田長政 西湖
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328962