レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/07/29
- 登録日時
- 2020/09/22 12:01
- 更新日時
- 2020/09/24 10:07
- 管理番号
- 企-200004
- 質問
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解決
1954年におきた洞爺丸事故についてのわかりやすい資料を探している。
また、当時の北海道代表の国体選手が遭った事故に関する資料を知りたい。
- 回答
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【洞爺丸事故に関するわかりやすい資料】
・『ザ・クロニクル戦後日本の70年』 共同通信社戦後70年写真事業実行委員会 編 共同通信社 2014年
p.160からp.161に、「洞爺丸転覆 台風直撃、1155人が犠牲」という見出しで見開き写真と解説があり、短く簡潔に被害の状況とその後の影響について解説している。
・『青函連絡船』坂本幸四郎 朝日イブニングニュ-ス社 1983年
貨物船石狩丸の通信士坂本幸四郎による青函連絡船の記録。p.119からの「第六章 洞爺丸台風」に事故当日の洞爺丸についての記録があり、p.186からの「第七章 僚船の命運」に洞爺丸以外の沈没した船について、p.207からの「第八章 海難審判」では洞爺丸の事故にかかる審判について記載している。少し長いが、詳細な記録。
・『函館市史 通説編 第4巻』函館市史編さん室 函館市 2002年
p.804からp.808に、「コラム41 洞爺丸台風の悲劇」があり、写真付きで詳細な記述がある。
また、p.480にも「「洞爺丸台風」とその後のディーゼル化」という項目で、洞爺丸の事故について記載があった。
・『日本国有鉄道百年史 第13巻』日本国有鉄道 編 日本国有鉄道 1974年
p.395からp.398にかけて洞爺丸事故の被災状況について記述している。旅客や職員などの区分別になった遭難者数の表や、最終的な被害額の一覧が掲載されている。
【当時の北海道代表の国体選手が遭った事故に関する資料】
国体の選手が事故にあったという資料は見つからなかったが、バレーボール選手についての資料であれば以下の資料が見つかった。
・『東大バレ-ボ-ル 佐々木先生の時代』東京大学排球部創設五十周年記念誌刊行会 編 1982年
p.358に、「故青木完栄氏」「青函連絡船“洞爺丸”にて遭難。」「北海道演習林での実習から秋季リーグ開幕にあわせて帰京の途中」との記載がある。
◯Wikipediaより
「1954年のバレーボール」という項目に「洞爺丸事故が発生し、多数のバレーボール関係者が事故死。」「三菱鉱業芦別鉱業所バレーボールチーム 13名、同社美唄鉱業所バレーボールチーム 22名、北海道バレーボール協会理事 2名、東京大学バレーボール部選手1名」との記述がある。また出典は「VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1954年11月号 5-7ページ」とのこと。
◯国立国会デジタルコレクションより
・「洞爺丸遭難僚友救援記」『新民』第5巻第12号 新民会 1954年
三菱鉱業株式会社美唄鉱業所副長、近角眞観氏の手記が掲載されている。
「台風十五号により洞爺丸函館湾内にて沈没、我がバレーチーム一行並に池原職組委員長乗船の公算大」という記述があり、また以下のように遺体収容の記述があった。
「池原君の頭を抱いてかき口説き、中野君厳父の遺体を確認」「この日、園田君父子上る」「一日沢野君、二日小山君、三日中野君夫妻、四日斉藤君、六日林、松岡、田中、高橋、広瀬、河岸、石川の諸君」「七日大賀君、八日太田君、九日宇賀村君、十日吉田君並に園田夫人、十一日竹田君」「竹田君を最後に二十二名全員を収容し得た」
また。芦別鉱業所バレーボールチームについてと思われる、
「芦別チーム一行十四名の遺体も十三日横田君を最後に完全に収容し得た。」
という記述もあった。Wikipediaの情報とは人数が違っています。
・『洞爺丸遭難追悼集』洞爺丸遭難追悼集編集委員会 洞爺丸遭難者遺族会 1955年
p.109(118コマ目)から、「想出――遺族が綴る故人の追憶と遺影を集めて」と題して犠牲者の氏名、顔写真、経歴、住所、遺族からの言葉が掲載されている。洞爺丸事故の遺族会が作成した冊子のようで、依頼生徒の大叔父の親族が遺族会に入っていたのであれば、ここに記載があると思われる。東京大学バレーボール部の青木氏や、三菱鉱業株式会社のバレーチームの方も掲載されている。
また、p.155(168コマ目)の三菱鉱業美唄鉱業所バレーボールチーム所属と思われる河岸氏の箇所に、「上京途上遭難す」との記載があり、遺族の言葉にも「東京大会へと一途に頑張り」とあった。
※上記2点の国立国会デジタルコレクション資料は図書館送信限定公開の資料。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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きっかけは調査依頼生徒の大叔父が同年行われた北海道国体の選手で被害者であったことから(北海道代表)
この事故でバレーボール関係者が38名亡くなっている(Wikipedia)
?wikiの出典元として挙げられていた『VOLLEYBALL』の出版社に1954年11月号 があるか確認をしたところ、持っていなかったため確認できず。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 海運 (683)
- 球技 (783)
- 参考資料
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the Chronicle : ザ・クロニクル戦後日本の70年 2. 共同通信社, 2014.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025865357-00 , ISBN 9784344952553 -
東京大学排球部創設五十周年記念誌刊行会 編 , 東京大学排球部創設五十周年記念誌刊行会. 東大バレーボール・佐々木先生の時代.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045971033-00 -
新民会 (東京). 新民 5(12)(60). 新民会, 1954-12.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002255431-00 -
洞爺丸遭難追悼集編纂委員会 編. 洞爺丸遭難追悼集. 洞爺丸遭難者遺族会, 1955.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000942236-00
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the Chronicle : ザ・クロニクル戦後日本の70年 2. 共同通信社, 2014.
- キーワード
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- 洞爺丸
- 事故
- バレーボール
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 高校生
- 登録番号
- 1000287394