レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2009/11/03 12:26
- 更新日時
- 2009/11/03 12:26
- 管理番号
- 小山市-2009-地域-15
- 質問
-
解決
母親が小山市延島の出身なので、延島および絹村の歴史がわかる本が
あれば見てみたい。
- 回答
-
延島および絹村について記述のある資料をご紹介します。
『日本歴史地名大系9 栃木県の地名』(平凡社 1988)p.629~630
『角川日本地名大辞典9 栃木県』(角川書店 1984)p.718~719
『小山の伝説』(栃木県小山市郷土文化研究会/編 第一法規出版 1992)
p.245~246「禁鯉の宮」
『小山市の地名由来と歴史』(菅間久男/著 随想舎 2006)p.250
それらによりますと、「延島」の郷名が文献に現われるのは戦国期
(1492年,延徳4年)であり、多賀谷朝泰が養父多賀谷氏家の霊供養
として、当郷内の堀内2,000疋分を安穏寺(現在の茨城県結城市)に
寄進した記述があります。
江戸期~明治22年の村名は「延島村」であり、慶安元年(1648年)の
徳川家光朱印状では「下野国結城郡延島村」とされ、江戸初期は
結城郡に属していたようです。その後慶安郷帳では都賀郡に属し、
また南接する高椅村(現在の小山市高椅)の高椅神社の造営にも関与
しており、関係が深いようです。
近現代の様子については
『小山市史 通史編Ⅲ 近現代』(小山市史編さん委員会/編 小山市 1987)
p.206~218、p.951~967
『小山市史 資料編・近世Ⅱ』(小山市史編さん委員会/編 小山市 1983)
p.315~368、p.453~589
『小山に生きた女性たち 近現代編』(小山市女性史編纂委員会/編 小山市 2002)
p.13~15他
『桑絹村勢要覧 昭和31年度』(桑絹村役場/編 桑絹村役場 1957)
等に記述があり、明治22年に絹村の大字となり、以後昭和31年に
桑絹村,昭和36年桑絹町、昭和40年に小山市の大字となり現在に
至っています。上記の資料では、養蚕と「結城紬」織りが盛んで
あった様子や合併の経緯、郷土の様子等について知ることができます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213)
- 日本 (291)
- 日本 (351)
- 参考資料
- キーワード
-
- 地名の由来 小山の伝説 小山市史
- 桑絹村 下野国結城郡延島村 多賀谷朝泰
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000059216