下記の資料より、亀の甲井堰を渡った。
『検証「赤穂事件 1」』赤穂市立歴史博物館∥編 赤穂市立歴史博物館 2002.11
掲載内容⇒P.23 P.104/120 播州赤穂城図元禄14年(1701)
『赤穂城絵図展』 赤穂市立歴史博物館∥編 2000.2
掲載内容⇒P29/32 天命6年(1786)の赤穂沖付州新開場絵図
『播州赤穂 昔と今 写真集』山本 正二∥編著 神戸新聞出版センター1981
掲載内容⇒P.28 「亀の甲を渡る早打ちかご」山崎家蔵ふすま絵
P.51 河川図 文化2年(1805)(*1)
『赤穂の民俗 その八 千種川流域編』赤穂民俗研究会∥編 赤穂市教育委員会 1989.3
掲載内容⇒P.260亀の甲井堰上の金毘羅神社
『赤穂市史第3巻』 赤穂市史編さん専門委員∥編集 兵庫県赤穂市 1985
掲載内容⇒P.259~南野中村の惨事~亀の甲井堰の撤去
『災害の記録』 赤穂市総務部企画総務課∥編 赤穂市 1981.9
掲載内容⇒P.59 江戸時代の千種川(*1と同じ)P.60明治初期の千種川
『知られざる夭折の画家 平井正年』赤穂市立歴史博物館∥編 1994.11
掲載内容⇒P.5 南野中村亀の甲井堰図 明治44年(1911)
『ゼンリン住宅地図 赤穂市 2019』 ゼンリン 2019.4
掲載内容⇒P.53 南野中~千種川 付近図