レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年11月4日
- 登録日時
- 2021/01/05 15:13
- 更新日時
- 2021/03/12 11:03
- 管理番号
- 中央-1-0021449
- 質問
-
未解決
江戸時代の中山道沿いの村々の墓所について記された資料を探している。
特に大宮宿周辺の庶民の墓所についての記述を探している。
- 回答
-
図書館所蔵資料を調査したが、大宮宿の庶民の墓所について記された資料は見つからなかった。
調査に使用した資料の中で墓地に関する記述がいくつか見つかったので、参考までに紹介した。
(1)『大宮の郷土史 第31号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2012年
p29 大宮宿の北澤家の墓所に関する記述がある。北澤家は大宮宿や中山道創設に関わった家柄で、近代漫画の祖楽天を輩出した由緒ある家と書かれている。
p1~18 さいたま市見沼区の萬年寺の調査報告 守屋家天満家筆塚花塚調査報告として、住職の墓地の塔の大きさや石碑の文字などが書かれている。
p19 「萬年寺の旧墓地と水いかりについて」甕棺や人骨が出た場所について寺の旧墓地であったとされている。
同ページにある略地図に位置が書かれている。"どこの家のものか分からないのでトラック一台分、現寺内に手厚く改葬した。"とある。お寺は元禄の初め現在地に移転と書かれている。
(2)『大宮の郷土史 第29号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2010年
p45~61「子供の墓 調査 -見沼区南部を中心に-」
さいたま市見沼区南部の子供の墓がある墓地に関する調査結果がまとめられている。江戸時代の墓の形・子どもの死亡者数のグラフや、調査した墓地の略地図なども掲載されている。
(3)『大宮の郷土史 第17号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 1998年
p1~14「県南部の両墓制について -浦和金剛寺を中心に-」
昭和56年まで使用されていた浦和市の寺社(複数地点)、志木市の大日堂、新座市の善光明寺を例に死者供養の方法が記述されている。
遺骸を埋葬する場所(葬地=埋め墓)と、石塔を建てて永く死者の霊魂を祭る場所(祭地=盛り墓)とを分ける両墓制について書かれており、それぞれの埋め墓の位置にもふれられている。
また、共同墓地に共同で土葬されていたと言及されている。
(4)『大宮市史 第三巻 中』大宮市役所/編 大宮市役所 1978年
p99に「第11表 大宮市域の寺子屋・私塾」の一覧があり、所々に師匠の墓石についての記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市大宮区
- 墓所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291984