レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/10/18
- 登録日時
- 2011/01/17 02:00
- 更新日時
- 2011/01/30 10:58
- 管理番号
- 6000001502
- 質問
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解決
①『シンドラーのリスト』の舞台はどこか ②杉原千畝はどこの領事館だったか ③サルトルの没年はいつか 知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料を調査した結果、以下のとおり回答。
①について:ポーランドの都市クラクフ、プワシュフ収容所。
②について:リトアニア共和国カウナス領事館の副領事。
③について:1980年。
- 回答プロセス
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(1) 自館OPACで「シンドラーのリスト」を検索し、【資料4】のp609~611「解説」より判明。
(2)参考資料の【資料2】p1312「杉原千畝」、【資料3】p550~551「杉原千畝」より、杉原千畝は、リトアニア共和国のカウナス領事館に副領事として赴任していた第二次大戦中、6500人のユダヤ人難民にビザを発給。ユダヤ人の恩人として表彰多数。1900-1986。
〔Wikipedia:杉原千畝〕http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D(最終確認 2010/6/1)より、海外では「東洋のシンドラー」,「センポ・スギハラ」と呼ばれた。
(3) 参考資料の【資料1】より、Sartre,Jean-Paul(ジャン=ポール・サルトル)1905-1980。フランスの哲学者、文学者。実存主義を代表し、行動する哲学者。1964年ノーベル賞拒否。
Wikipedia(最終確認 2010/6/1)には、「反ユダヤ主義の研究者」に挙げられている。
<参考>〔Wikipedia:オスカー・シンドラー〕http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC(最終確認 2010/8/28)より、
オスカー・シンドラー・・・1908-1974。ドイツ人の実業家。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち、自身の工場で雇用していた1200人を虐殺から救った。
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (933 8版)
- ドイツ.中欧 (234 8版)
- 参考資料
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- 外国人物レファレンス事典,4,日外アソシエーツ編集部/編,日外アソシエーツ,2002.6, (2002、p190~191「Sartre,Jean-Paul」※貸出禁止資料 【資料1】 )
- 人物レファレンス事典,昭和<戦後>・平成編あ〜す,日外アソシエーツ編集部/編,日外アソシエーツ,2003.6, (2003、p1312「杉原千畝」※貸出禁止資料 【資料2】 )
- 日本近現代人名辞典,臼井 勝美/編,吉川弘文館,2001.7, (2001、p550~551「杉原千畝」 ※貸出禁止資料 【資料3】 )
- シンドラーのリスト,トマス・キニーリー/著,新潮社,1989, (1989、p609~611「解説」 【資料4】)
- キーワード
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- ユダヤ人(ユダヤジン)
- サルトル(サルトル)
- ナチス(ナチス)
- アウシュヴィッツ(アウシュヴィッツ)
- 杉原千畝(スギハラ,チウネ)
- 東洋のシンドラー(トウヨウノシンドラー)
- ポーランド-クラクフ(クラクフ)
- プワシュフ収容所(プワシュフシュウヨウジョ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000076621