レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月17日
- 登録日時
- 2022/08/04 14:16
- 更新日時
- 2022/08/04 14:17
- 管理番号
- 千県中千葉-2022-03
- 質問
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解決
いすみ市の「下布施」という地名の由来を知りたい。
- 回答
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次の資料が見つかりました。
【資料1】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)
p855に「下布施村」の項目があります。布施村、布施郷が上下にわかれたとあります。
【資料2】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)
p452に「下布施」の項目があり、【資料1】と同様の記述があります。
p736に「布施」の項目があります。地名の由来については、布施屋(古代の行旅者の無料宿泊所)があったからという説や、源頼朝が上総広常の追福としてこの地を布施料としたことからきたとする説があると書かれています。
【資料3】『千葉県地名由来事典』(小林茂多編 小林茂多 1999)
「下布施」の項目はありませんが、p144に「布施」の項目があり、県内の複数の「布施」という地名について書かれています。大原町(現いすみ市)の布施の由来については、【資料2】同様布施屋と布施料の両方を挙げています。
布施料を由来とする資料は以下のとおりです。
【資料4】『上総国誌5巻 村部 中』(安川惟礼著 松雲窠 1879)
(国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763709)
p16(17コマ)に布施の地名が布施料から来ていると漢文で書かれています。
【資料5】『この橋どうして「地獄橋」 夷隅地方の地名伝説』(夷隅民話の会 2021)
p89-97「頼朝と広常と「布施」」の項目があり、布施という地名になった経緯が『吾妻鏡』を手がかりに解説されています。広常は頼朝から嫌疑をかけられ不慮の死をとげますが、広常の死後、後悔した頼朝が広常の冥福を僧に祈らせ、この地を布施料として広常の親族に与えたことから「布施」という地名になったと書かれています。
【資料6】『伝説源頼朝と上総介広常』(夷隅民話の会編著 夷隅民話の会 2015)
p84-106「第五章 房総最大の豪族上総介広常」のうち、p88-90に「布施の地名」の項目があり、布施料を由来としています。
【資料7】『千葉県郷土志』(矢部鴨北著 千葉県郷土志刊行会 1929)
(国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1190669)
p128(79コマ)に布施の由来が布施料から来ているとあります。p496-497(263コマ)には布施という地名と布施屋について書かれていますが、いすみ市の布施についてではないようでした。
【資料8】『房総叢書 第6巻 紀元二千六百年記念 地誌』(紀元二千六百年記念房總叢書刊行會編輯 紀元二千六百年記念房總叢書刊行會 1941)(菜の花ライブラリー http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600269 )
p1-116に「房総志料」が収録されています。そのうち、p74(42コマ)に「鎌倉より布施料となしたる故、布施の名ありとみゆ」と書かれています。
布施屋を由来とする資料は、【資料2】、【資料3】以外に見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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当館作成のパスファインダー「千葉県の「地名」について」(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/reference/pathfinder/post_48.html)より、【資料1】~【資料3】、【資料8】を確認した。
下布施は旧大原町なので『大原町史 通史編』(大原町史編さん委員会編集 大原町 1993)を確認。目次から、下布施や布施村に関する部分を確認したが由来は見つからなかった。
布施屋が古代のものなので、p148-164「律令制の施行」を確認したが布施屋に関する記述は見つからなかった。
千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」で全項目「夷隅 地名」と検索し、【資料5】がヒット。
源頼朝が関係しているので、千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」で資料種別を千葉県資料にし、件名「源頼朝」と検索すると【資料6】がヒット。
当館作成の千葉県関係データベース菜の花ライブラリー(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/nanohana/index.html)をキーワード「下布施」「布施」「いすみ 地名」「夷隅 地名」で検索し、見つかった記事等を確認したが、下布施の由来について書かれているものはなかった。
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリー(https://lab.ndl.go.jp/dl/)の全文検索でキーワード「布施 夷隅」と検索し【資料7】と『千葉県夷隅郡誌』(千葉県夷隅郡編 夷隅郡 1924)を発見。
【資料7】本文を「布施」で検索し直すと、79コマに布施料が由来だと書かれていた。その他、263コマには布施という地名と布施屋について書かれているが、現柏市・我孫子市の富勢村についての項目であり、いすみ市の布施に関するものではなかった。
『千葉県夷隅郡誌』本文を「布施」で検索し直すと、180コマに布施料を由来とする記述があった。179コマには「上総国誌曰く」とあり。
次世代デジタルライブラリーの全文検索でキーワード「上総国誌 布施料」と検索し、【資料4】を発見。本文を「布施料」で検索し直すと、17コマに『千葉県夷隅郡誌』のもととなる記述があった。
(インターネット最終アクセス:2022年5月17日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)(0200646895)
- 【資料2】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)(9200306648)
- 【資料3】『千葉県地名由来事典』(小林茂多編 小林茂多 1999)(0200716532)
- 【資料4】『上総国誌5巻 村部 中』(安川惟礼著 松雲窠 1879)(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763709)
- 【資料5】『この橋どうして「地獄橋」 夷隅地方の地名伝説』(夷隅民話の会 2021)(0201140594)
- 【資料6】『伝説源頼朝と上総介広常』(夷隅民話の会編著 夷隅民話の会 2015)(0201033217)
- 【資料7】『千葉県郷土志』(矢部鴨北著 千葉県郷土志刊行会 1929)(9200024597)
- 【資料8】『房総叢書 第6巻 紀元二千六百年記念 地誌』(紀元二千六百年記念房總叢書刊行會編輯 紀元二千六百年記念房總叢書刊行會 1941)(9200265400)(http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600269)
- キーワード
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- 千葉県-地名(チバケン チメイ)
- 千葉県―いすみ市(チバケン イスミシ)
- 上総広常(カズサヒロツネ)
- 源頼朝(ミナモトノヨリトモ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000319675