レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1999/01/22
- 登録日時
- 2007/03/16 02:10
- 更新日時
- 2009/11/23 16:33
- 管理番号
- 埼久-1998-090
- 質問
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未解決
1284年の「トロッパウの講和」に関する資料を探している。
- 回答
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該当の資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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事前調査の出典を確認すると、「1284年のトロッパウの講和によって、1276年から1278年にかけて途絶えていたこの地域の開発計画が再開された」とあり。
p76には以下の記述もある。「メーレン北部のトロッパウを中心とするこの地域は、1241年のモンゴル軍の侵入によってヨーロッパで最も大きな被害を受けた土地であった。国王ヴェンツェル(1278-1305)の時代に、この地方にはヴェンツェル弟ニコラウスがトロッパウ公として統治していた。」
所蔵資料の〈ヨーロッパ中世史〉〈ドイツ史〉〈チェコ史〉〈モンゴル帝国史〉および『国会雑索CD-ROM 1985-1998』等にあたるが、該当なし。
『世界大百科事典』(平凡社)に〈オパバ〉の項目はあるが、質問に関連する記述なし。
『世界歴史事典 3』(平凡社)に、1820年のトロッパウの会議の記述はあるが、1284年の講和については記述なし。
国会図書館に調査を依頼する。
「国会図書館所蔵の日本語、ドイツ語の各種辞典類・歴史関係資料を調査したが関連記述なし」との回答をいただく。
以上の調査経過を連絡する。
- 事前調査事項
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情報源:「ハーメルンの笛吹き男」(阿部謹也 平凡社 1974)p77に出ていた。モンゴルとの講和かもしれない。
チェコ語で「Opava(オパヴァ)」、ドイツ語で「Troppau(トロッパウ)」と表記する。
- NDC
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- ドイツ.中欧 (234 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- ドイツ-歴史
- チェコスロバキア-歴史
- トロッパウの講和(1284年)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000033972