レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年08月28日
- 登録日時
- 2012/11/14 11:37
- 更新日時
- 2013/01/08 09:35
- 管理番号
- 埼熊-2012-160
- 質問
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解決
ドルイド教およびドルイド教を信仰していた民族(○○人)について知りたい。
- 回答
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ドルイド教について記述のあった次の資料を紹介した。
『世界大百科事典 2005年改訂版 20』(平凡社 2005)
p510-511に〈ドルイド〉の項があり、「古代のケルト人の信仰をつかさどった聖職者、司祭階級」とある。
『英米史辞典』(松村赳編著 富田虎男編著 研究社 2000)
p209〈ドルイド教〉の項に「古代ブリテン島のケルト人の原始的宗教。ローマ人の書き残した記述(特に、カエサルの『ガリア戦記』)以外にはほとんど資料がなく詳しくは知られていないが、(中略)行事などを催したのはドルイドで」とあり。また、「ストーンヘンジは彼らの遺跡との説もあるが、近年はほとんど否定されている。」との記述あり。
p131に〈ケルト人〉の項があり「ブリテン島の先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属し、前10から前8世紀ごろ西ヨーロッパ一帯に広まった。」と記述がある。
『ケルトの賢者「ドルイド」』(スチュアート・ピゴット著 鶴岡真弓訳 講談社 2000)
p246-265「ドルイドとストーンヘンジ」の章がある。ストーンヘンジの建造者についての考察。1冊すべて、ドルイドに関する内容。
『図説ドルイド』(ミランダ・J.グリーン著 井村君江監訳 大出健訳 東京書籍 2000)
p31〈ドルイドの復活〉の項があり、一度姿を消したドルイド教への関心が16世紀に復活し、17世紀から18世紀にかけて英国で、ジョン・オーブリーやウィリアム・ステュークリーらの好古家により新たにドルイド教団がつくられた、それをストーンヘンジなどの巨石建造物と関連づけたとの記述がある。1冊すべてドルイドに関する記述。
『二つのケルト』(小辻梅子、山内淳編 世界思想社 2011)
p228-229〈現代のドルイド〉の項に「2010年10月3日、数千年にわたり異端視されてきたドルイド教を、イギリス政府が史上初めて公認したというニュースが報じられた」との記述がある。
- 回答プロセス
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百科事典やヨーロッパ史の事典を確認する。
『英米史辞典 p209〈ドルイド教〉の項あり。
自館目録を書名〈ドルイド〉で検索した結果から次の資料を調査した。
『図説ドルイド』回答資料
『ケルトの賢者「ドルイド」』回答資料
NDC分類〈162.3〉の書架から次の資料を調査した。
『ケルトの宗教ドルイディズム』(中沢新一〔ほか〕編著 岩波書店 1997)
ドルイド(僧)のヨーロッパにおけるイメージの考察が内容の中心
NDC分類〈230〉の書架から次の資料を調査した。
『ケルト生と死の変容』(中央大学人文科学研究所編 中央大学出版部 1996)
巻末の索引から〈ドルイド〉に関するページにあたれるが、概要についての記述は見つからず。
『ケルト復興』(中央大学人文科学研究所編 中央大学出版部 2001)
概要についての記述は見つからず。
p32-33、36に〈ネオ・ドルイディズム〉(近代に復活したドルイド教)に関する記述あり。
インターネット情報
《Google》を〈ドルイド教〉で検索した結果から
《AFPBBニュース》のページに「古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国」(2010.10.3)という記事あり。
(http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2763458/6281292 クリエイティヴ・リンク 2012/11/14最終確認)
2010年以降に刊行された関連図書を探すため、自館目録を全項目〈ケルト人〉 & 出版年〈2010年以降〉で検索した結果から
『二つのケルト』回答資料
- 事前調査事項
- NDC
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- 宗教史.事情 (162 9版)
- 参考資料
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- 『世界大百科事典 2005年改訂版 20』(平凡社 2005)
- 『英米史辞典』(松村赳編著 富田虎男編著 研究社 2000)
- 『ケルトの賢者「ドルイド」』(スチュアート・ピゴット著 鶴岡真弓訳 講談社 2000)
- 『図説ドルイド』(ミランダ・J.グリーン著 井村君江監訳 大出健訳 東京書籍 2000)
- 『二つのケルト』(小辻梅子、山内淳編 世界思想社 2011)
- キーワード
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- ケルト人
- ドルイド教
- アイルランド-歴史
- 原始宗教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000113980