レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月17日
- 登録日時
- 2017/03/15 10:48
- 更新日時
- 2017/06/20 12:48
- 管理番号
- 埼熊-2016-152
- 質問
-
解決
「太閤検地論」に検地条目が載っているが、これを現代語訳したものを見たい。
- 回答
-
検地条目をそのまま現代語訳した資料は確認できなかった。現代語で検地条目の大意を記述した資料があり、これを紹介した。
『検地 縄と竿の支配 教育社歴史新書』(神崎彰利著 教育社 1983)
p72-73「第3表 延宝5~元禄7年検地条目の比較」
神崎彰利著「元禄元年奥州窪田領検地」(『明治大学刑事博物館年報 13』p1-31 明治大学刑事博物館編 明治大学刑事博物館 1982)
p11「第4表 延宝5年~元禄3年検地条目の比較」
PDF形式でも閲覧できる。
《明治大学学術成果リポジトリ Meiji Repojitory》(https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/14713/1/keijihakubutsukan_13_1.pdf 明治大学)
上記2つは同一の表である。
- 回答プロセス
-
1 自館目録を〈太閤検地論〉で検索する
『太閤検地論 第3部 基本史料とその解説』(宮川満著 御茶の水書房 1963)
p331-334「39 摂津国検地条目」(森田文書-摂津)あり。
「延宝五年 摂州御検地御改條目」で始まり、末尾に「延宝五巳年 三月」とあり。
2 摂津国は兵庫・大阪の間にあるため、該当府県の県史を確認する
『兵庫県史 史料編 近世 2』(兵庫県史編集専門委員会編 兵庫県 1990)
p542「延宝検地」
p911「幕府は延宝五年(一六七七)三月、二八ヵ条からなる検地条目を定め、(後略)」
検地条目及びその現代語訳はなし。
『大阪府史 第5巻 近世編』(大阪府史編集専門委員会編 大阪府 1985)
『大阪府史 別巻』巻末の索引より「延宝検地」について記述のある部分はp113、p430、p685とわかる。
p685に延宝検地について詳しくあるが、現代語訳はない。
3 《Google ブックス》(https://books.google.co.jp/ Google)を〈摂津国検地条目〉で検索する
(https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD%E6%A4%9C%E5%9C%B0%E6%9D%A1%E7%9B%AE&tbm=bks&start=0 Google)
『幕藩制成立史の基礎的研究 越後国を中心として』(小村弌著 吉川弘文館 1983)
p223「ついで延宝五年(一六七七)から貞享三年(一六八六)にかけて、(中略)。条数は二十三条で、延宝五年摂津国検地条目と酷似している。」とあるが、摂津国検地条目の現代語訳はなし。
『新潟県史 通史編 3 近世』(新潟県編集 新潟県 1987)
p240「新発田藩の最後の総検地は延宝五(一六七七)から貞享三(一六八六)にかけてのものである。このときの検地の仕方を示す「御検地衆へ仰せ渡さるる覚書」(横越北方文化博物館所蔵)、いわゆる検地条目は、延宝五年摂津国検地条目、天和三(一六八三)年旧高田領検地条目(資料編近世一 二八九ページ)、(中略)と酷似、ないしほぼ同文で、幕府の検地条目を模して作成されたことが理解できる。」とあるが、現代語訳はなし。
『新潟県史 資料編 6 近世』(新潟県編集 新潟県 1981)
p289「八二 天和三年四月 検地条目並びに同伺い」あり。現代語訳や解説はなし。
『中世東国史の研究』(中世東国史研究会編 東京大学出版会 1988)
現代語訳なし。
「上方代官豊島権之丞勝正と摂津の延宝検地」(『地方史研究 1979年4月号~12月号』6号 p15-26 地方史研究協議会)
p16に「延宝検地条目」についての記述あり。
p25(注)10に「延宝検地条目」が全文集録されている資料の記載あり。
4 検地について現代語訳のありそうな資料を抽出する
『検地 縄と竿の支配 教育社歴史新書』(神崎彰利著 教育社 1983)
p72-73「第3表 延宝5~元禄7年検地条目の比較」
「延宝5年・天和2年・貞享3年検地条目の大意」として条目の日本語訳あり。
p74に「第3表に延宝5年検地条目(宮川満『太閤検地論』第Ⅲ部)の大意をあげた。」との記述あり。
『江戸幕府の権力構造』(北島正元著 岩波書店 1978)
検地条目及びその現代語訳なし。
『近世の検地と年貢』(田中誠二著 塙書房 1996)
索引に「摂津国」なし。「延宝検地」はあるが、現代語訳なし。延宝検地の記述も微細である。
『勘定奉行荻原重秀の生涯 新井白石が嫉妬した天才経済官僚』(村井淳志著 集英社 2007)
p62「延宝検地」の条目について記載あり。
参考文献として既出の『検地 縄と竿の支配 教育社歴史新書』(神崎彰利著 教育社 1983)があげられている。
5 質問典拠資料「太閤検地論 第3部 基本史料とその解説」の「39 摂津国検地条目」の末尾に「本書Ⅰ部384-385頁」とあるので確認する
『太閤検地論 第1部 日本封建制確立史』(宮川満著 御茶の水書房 1959)
p384-385 検地条目についての大まかな解説あり。条目の日本語訳ではない。
6 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈延宝検地 & 摂津 & 条目〉で検索する
『明治大学刑事博物館年報 13』(明治大学刑事博物館編 明治大学刑事博物館 1982)
p1-31 神崎彰利著「元禄元年奥州窪田領検地」
元禄元年陸奥国岩城平藩内藤氏が代行した、陸奥国菊田郡久保田領一万石の検地施行についての事例報告。
7 《Google ブックス》を〈検地条目 & 摂津〉で検索する
『東筑摩郡松本市・塩尻市誌 第2巻 下 第2巻 下 歴史』(東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会編 信毎書籍出版センター 1985)
p240「高遠領の総検地を実施するに当たり、慶安以後の修正条目、たとえば延宝五年の摂津国検地条目(二九か条)をさらに是正した二七か条の検地条目を下した。」とあるが、摂津国検地条目(二九か条)の現代語訳はなし。
8 《Google ブックス》を〈摂州 & 検地 & 条目〉で検索する
『近世における百姓の土地所有 中世から近代への展開 歴史科学叢書』(神谷智著 校倉書房 2000)
p121「(イ)延宝五年(一六七七)七月 摂州検地条目」
p127「(ス)延宝五年(一六七七) 摂州検地条目」
どちらも条目の一部のみを取り上げており、現代語訳ではない。
ウェブサイトの最終アクセス日は2015年10月16日。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 農業経済・行政・経営 (611 9版)
- 参考資料
-
- 『検地 縄と竿の支配 教育社歴史新書』(神崎彰利著 教育社 1983) , ISBN 4-315-40289-3
- 『明治大学刑事博物館年報 13』(明治大学刑事博物館編 明治大学刑事博物館 1982)
- キーワード
-
- 太閤検地
- 検地条目
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000211707