①『七騎落』の内容について
能楽では、雑誌『謡曲界』27巻2号に『七騎落』の口語訳をはじめ、関係記事が掲載されておりますので、参考になると思われます。
また、『謡曲大観』第2巻pp.1305-1324にも、脚本と現代語訳が掲載されています。こちらによれば、『七騎落』の出典は『源平盛衰記』の巻二十一及び二十二であるらしいことがわかります(p.1306)。
浄瑠璃では、『古浄瑠璃正本集 角太夫編 第2』に『源氏長久移徙悦』(げんじちょうきゅう わたましのよろこび)が収録されており、解題によると、頼朝七騎落を扱ったものです(pp.468-471参照)。
また、『近世演劇考説』のpp.113-124でも、『源氏長久移徙悦』が論じられており、内容把握の参考になると思われます。
②『七騎落』の明治30年以前の上演について
立命館大学アートリサーチセンターの「
日本芸能・演劇総合上演年表データベース」【最終アクセス2018/7/17】
によると、東京では明治30年に12月1日より市村座にて上演されたことがわかります。
『歌舞伎年表』第7巻p.554にも同じ記録があります。
朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱ」によると、この公演は「謡曲より仕組しもの」とあります(明治30年12月1日 朝刊(東京)5ページ)ので、謡曲『七騎落』をベースにしていたことがわかります。
能の公演では、上記「聞蔵Ⅱ」ならびに読売新聞のデータベース「ヨミダス歴史館」によると、東京では明治17年、18年に、大阪では明治19年に、公演案内の記事があり、その中に「七騎落」とあります。
明治20年代は東京では能、歌舞伎ともに上演の記録はなく、京都では何度か能狂言の公演があったようです。
『七騎落』ほか①の『源氏長久移徙悦』でも探しましたが、これらのキーワードでは明治20年代の歌舞伎公演は見つかりませんでした。
広津柳浪『七騎落』は明治30年9月ですから、上記市村座の歌舞伎公演とは関係ないと思われます。
市村座の公演にしても、謡曲『七騎落』をベースにしたものであり、柳浪も謡曲から採ったと考えるのが自然ではないでしょうか。