レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年03月22日
- 登録日時
- 2019/03/17 14:38
- 更新日時
- 2019/03/22 15:00
- 管理番号
- 159
- 質問
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解決
昭和20年(1945)に尼崎市内の塚口周辺でアメリカ軍による焼夷弾の空襲や小型機からの機銃掃射による空襲を体験した。これらの空襲の日付を調べたい。
- 回答
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第2次世界大戦末期の昭和20年(1945)3月から8月にかけて、現尼崎市域は度重なる空襲被害を受けました。これらの空襲の多くは、アメリカ軍のB29爆撃機部隊による市街地への焼夷弾空襲及び軍需工場への爆弾空襲でした。このうち、塚口周辺での空襲被害が記録されているのは、6月15日の焼夷弾空襲です。
一方、現尼崎市域への小型機による空襲は、昭和20年3月19日のアメリカ海軍機動部隊の艦載機によるものと、6月1日及び7月10日の硫黄島から飛来するP51戦闘機によるものが記録されています。このうち、3月19日と6月1日については塚口方面での被害が報告されておらず、7月10日に塚口での被害が報告されています。
以上のことから、質問者が体験された空襲は、6月15日のB29爆撃機部隊による焼夷弾空襲と、7月10日のP51戦闘機による空襲であったのではないかと考えられます。
『図説尼崎の歴史』や、尼崎市史研究紀要『地域史研究』第2巻第1号・第2巻第3号、尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第8巻第1号(いずれも「尼崎市の戦災資料」掲載)等の文献により、それぞれの日の塚口周辺での被害の様子を調べることができます。
- 回答プロセス
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1 第2次世界大戦末期のアメリカ軍による現尼崎市域への空襲の概要を解説する文献
◆『図説尼崎の歴史』下巻(尼崎市,2007)/Web版図説尼崎の歴史
近代編第4節8「空襲と尼崎」(執筆者:辻川敦)
2 現尼崎市域への空襲による被害について、空襲の日付ごとの資料を掲載する文献
◆内田勝利「尼崎市の戦災資料」尼崎市史研究紀要『地域史研究』第2巻第1号,尼崎市史編修室,1972.6,p84~86
6月15日空襲の被害地区として塚口を記載している。
◆内田勝利「尼崎市の戦災資料補遺」尼崎市史研究紀要『地域史研究』第2巻第3号,尼崎市史編修室,1973.2,p62~64
6月15日空襲の「出火場所」として塚口の記述があり、京阪神急行電鉄=阪急の塚口駅及び周辺施設の被害を記録している。
◆内田勝利「尼崎市の戦災資料(続々)」尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第8巻第1号,尼崎市立地域研究史料館,1978.7,p57~59・71
6月15日空襲の被害に関する塚口の町内会連合会のくわしい被害記録及び、7月10日の小型機空襲による「塚口南町」(資料のママ)の人的被害を記載する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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尼崎市立地域研究史料館/編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 下巻. 尼崎市, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005908615-00 (当館請求記号 219/A/ア) -
尼崎市史編修室 [編] , 尼崎市史編修室 , 尼崎市立地域研究史料館. 地域史研究. 尼崎市史編修室., ISSN 09108661
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000688968-00 (逐次刊行物)
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尼崎市立地域研究史料館/編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 下巻. 尼崎市, 2007.
- キーワード
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- 尼崎市
- 空襲
- 戦争体験
- 戦災
- 照会先
- 寄与者
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- なし
- 備考
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web版図説尼崎の歴史
近代編第4節8「空襲と尼崎」(執筆者:辻川敦)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai4-8.html
塚口における空襲被害については、次のレファレンス事例も参照して下さい。「昭和16年(1941)に塚口国民学校に入学し、昭和20年6月15日に空襲にあった記憶があるが、正確な記憶なのかどうか確かめたい。」(レファレンス協同データベース、最終更新日:2014年4月19日) https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000150578
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000253215