レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年1月22日
- 登録日時
- 2021/02/12 12:25
- 更新日時
- 2021/03/25 14:40
- 管理番号
- 中央-1-0021468
- 質問
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解決
宮嶋資夫の妻であった宮嶋麗子(うら子)の経歴を教えてほしい。
特に生没の年月日を知りたい。
- 回答
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複数の資料に、生年月・没年月日の記述があった。生まれた日については、掲載されている資料は見つからなかった。
「明治23(1890)年7月~昭和12(1937)年5月13日。別:宮嶋うら、八木 大正・昭和期の雑誌記者、編集者」
(『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和<戦前>編 [1]す~わ 新訂増補』日外アソシエーツ編集部/編 日外アソシエーツ 2000年 より)
その他、宮嶋麗子について書かれている以下の資料を紹介した。
(1)『評伝 宮嶋資夫 文学的アナキストの生と死』森山重雄/著 三一書房 1984年
p80「八木麗子との結婚」の章に、「宮嶋は、宮田脩の哲学の会で麗子と知りあったと語っている」など、麗子との結婚について書かれている。
また、p295~301「宮嶋資夫年譜」より、麗子について書かれた箇所を抜粋する。
・大正三年 「十一月、万朝報社の記者八木麗子と結婚」
・昭和五年 「五月、六人の子女を妻麗子に托し、京都・嵯峨の毘沙門堂に入居、天竜寺に参禅する。」
・昭和十一年 「別居していた麗子、過労のため結核悪化する。」
・昭和十二年 「この年、家主の娘と恋愛。五月、麗子死去。」
(2)『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』森まゆみ/著 文藝春秋 2008年
p274~281「宮嶋麗子 迷いすぎる男を夫に選んだ」
宮嶋麗子の評伝。宮嶋麗子が市ヶ谷の成女高等女学校出身であること、麗子の生まれた八木家の家柄、宮嶋資夫との結婚生活、万朝社で記者として働き、のちに帝都日日新聞社や実業之世界社に再就職したことなどが書かれている。
(3)『秋山清著作集 第7巻』秋山清/著 秋山清著作集編集委員会/編 ぱる出版 2006年
p229「埋もれた婦人活動家」の章のうち、p229~243に「宮嶋麗子」の評伝がある。(2)の本と同様に、宮嶋麗子の経歴などについて書かれている。
(4)『宮嶋資夫著作集 第7巻』[宮嶋資夫]/[著] 西田勝/[ほか]編集 慶友社 1983年
宮嶋資夫の著作集。遍歴の中で、麗子との出会いや結婚について触れられている。巻末の「宮嶋資夫年譜」には、(1)の本の年譜と同様に、麗子についての記述がある。
(5)『近現代日本女性人名事典』近現代日本女性人名事典編集委員会/編 ドメス出版 2001年
p338~339「宮嶋麗子」の項に、経歴がまとめられている。
(6)『日本アナキズム運動人名事典』日本アナキズム運動人名事典編集委員会/編 ぱる出版 2004年
p622~623「宮嶋麗子」の項に、経歴がまとめられている。
(7)『近代日本社会運動史人物大事典 4』近代日本社会運動史人物大事典編集委員会/編 日外アソシエーツ 1997年
p489「宮嶋麗子」の項に、経歴がまとめられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 10版)
- 社会思想 (309 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮嶋麗子
- 宮嶋資夫
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293769