レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年01月14日
- 登録日時
- 2021/01/28 17:18
- 更新日時
- 2021/02/16 11:41
- 管理番号
- 相-200021
- 質問
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解決
『今昔物語集』巻24-23に蝉丸の話があります。また、「関清水大明神縁起」や能「蝉丸」に逆髪の姉君が登場します。二人とも身体不具者として逢坂に行きますが、
Q1 逢坂の関は、流人の流される土地だったのでしょうか。
Q2 関所としての逢坂は、異郷・流離の地としての土地ということが前提にあったのでしょうか。
Q3 <身体不具者は京には住めない>という決まり・法律があったのでしょうか。
- 回答
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1.逢坂の関について
・『新編日本古典文学全集37』馬淵和夫ほか校注・訳 小学館 2001<918/102/37>(21389804)
「源博雅朝臣行会坂盲許語第二十三」のp.308「其ガ盲ニ成ニケレバ、会坂ニハ居タル也ケリ。」の頭注に「逢坂の関付近に盲者が集り住んだ由来。境界には犯罪者・逃亡者・障害者などが集った。」とあります。
・『日本中世被差別民の研究』脇田晴子著 岩波書店 2002<210.4/434>(21547898)
「第三章 中世の差別と救済 第一節 非人・悪人と殺生堕地獄観」にp.187-191「1 非人法師の滅罪」があり、p.187に「非人とは(中略)癩病などの重病、身障者など、都市や村落の共同体からの欠落者、家のなかから排除されたものからなっている。」とあります。
また、p.189には蝉丸について記載した上で「平安中期から盲目になった人は逢坂山に住むことになっていたらしい。」とありますが、出典については記載がありませんでした。
・『障害者の中世』河野勝行著 文理閣 1987<210.4/163>(12337259)
こちらは鎌倉期の内容にあたりますが、「第三章 「癩=業病」説の確立と非人宿の「完成」」に「非人宿の成立と構造」があり、P.46に「鎌倉期の非人宿はかなりの数になりますが、所在地の確定できるもののほとんどは、陸水運の交通の要衝にあたっています。」とあります。
2.関所としての逢坂
・『平安京の都市生活と郊外』古橋信孝著 吉川弘文館 1998<210.36/125>(21027099)
「郊外の空間」のp.49~59「郊外の範囲」があり「貴族、王族が畿内に居住することを禁じた、寛平七年(八九五)十二月三日付の太政官符」に「東は会坂関に至る」とあり、「この範囲が京と一帯の空間とみなされたようで」と記載されています。またp.50~55に「逢坂関」があり「逢坂山は古くから境界の場所だった」「神に幣を捧げ旅の安全を祈願する場所として詠まれている」などの記述があります。
3.身体不具者は京に住めないという決まり・法律について
・『日本盲人史考』森納著 米子今井書店 1993<210.1/263>(20667507)
「第一章 我が国の盲人史 第三節 平安時代(七九四-一一八五)」にp.15-16「2 病人の遺棄」があり「類聚三代格・延暦十一年七月の太政官符に「京畿百姓ノ病人ヲ出棄スル事ノ禁断ニ応ズ」として布令が出されている。(中略)罰則を定めているのは、官民ともに同様に重病人を路上、山野に棄てていた悪弊があったものであろう。」という記載があります。また、続いて施薬院、悲田院などの庶民の共済に当たった施設について記載されています。
こちらの資料は「第四章 蝉丸伝承と琵琶法師」や「第五章 諸芸能の中の盲人とその伝承地」などで蝉丸についても記載されています。
・『障害者の中世』河野勝行著 文理閣 1987<210.4/163>(12337259)
「第一章 触穢思想による「非人(キヨメ)」と「五体不具」説の形成」に「障害者への賤視の深まりと、非人(キヨメ)の形成」があり、p.20に「神社の境内に属する鴨の河原に集団的に住みついていた葬送法師などのいわゆる非人が、神社との間に身分的な従属関係を結んでいる」という記載があります。
こちらは鎌倉期の内容にあたりますが、「第三章 「癩=業病」説の確立と非人宿の「完成」」に「非人宿の成立と構造」があり、P.46に「非人宿の形成時期をはっきりと決めることはできません。ただ十三世紀の初頭には、京都の清水坂および大和の奈良坂に非人宿ができていたことがわかります。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 社会福祉 (369)
- 参考資料
- キーワード
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- 蝉丸
- 日本史
- 逢坂関
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293109