レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年06月22日
- 登録日時
- 2022/11/06 16:02
- 更新日時
- 2023/01/24 09:51
- 管理番号
- 遠野-2005-07
- 質問
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解決
板澤武雄と伊能嘉矩の関係についてわかる資料はあるか。
- 回答
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板沢武雄が、学問への目ざめを開かせてくれたのは伊能嘉矩先生であり、恩師であった。「釜石市誌 通史」
板沢武雄自身も著書で門下生を称していた。 「伊能友壽翁年譜 伊能嘉矩先生小伝」
伊能嘉矩の死後、伊能家と書簡のやりとりを何度もしている。 「伊能嘉矩 年譜資料書誌」
「釜石市誌」「伊能嘉矩 年譜資料書誌」を2人の関係性がわかる資料として紹介。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
「釜石市誌 通史」(釜石市誌編纂委員会 編 釜石市 1977)p597からp598より
明治四十一年四月、岩手県立遠野中学校に入学、その年の九月より、遠野の生んだ人類学者で「台湾文化誌」の著者として有名な伊能嘉矩先生方に寄寓した。この伊能先生のもとに寄寓したことは、後年武雄にとって大きく影響してくるもので、武雄をして学問への目ざめを開かせてくれたのは全く伊能先生によってなされたもので、武雄にとっては恩師であった。
「釜石市誌 通史」p599より
板沢博士が、蘭学に興味をもちはじめたのは二高在学中に大槻文彦博士の蘭学の講演を聴き、蘭学書の展示を見て以来であり、また大学一年生のとき、暑中休暇で遠野に帰省するや、伊能嘉矩先生からCampbe 11のFormosa under the Dutch(オランダ人の支配下の台湾)の抄訳を課せられ、(後略)。
とある。
「日本近現代人名辞典」(臼井勝美[他]編 吉川弘文館 2001)p79より
「台湾文化誌」の著者伊能嘉矩の家に寄寓してその感化を受けた。
とある。
「伊能友壽翁年譜 伊能嘉矩先生小伝」(板沢武雄 1939)の序文に
昭和十四年八月三十日伊能嘉矩先生の十五年祭を行はせらるるに當り恭しく御霊の御前にこの小篇を捧げまつる 門下生 板澤武雄 敬白
とあり、自らを門下生と称している。
「伊能嘉矩 年譜資料書誌」(荻野馨 遠野物語研究所 1998)p138からp146に板澤武雄と伊能家との書簡が記されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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釜石市誌編纂委員会/編 , 釜石市誌編纂委員会. 釜石市誌 通史. 釜石市, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I020337125-00 -
臼井勝美 [ほか]編 , 臼井, 勝美, 1924-. 日本近現代人名辞典. 吉川弘文館, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003003951-00 , ISBN 4642013377 -
板沢武雄 編 , 板沢, 武雄, 1895-1962. 伊能友寿翁年譜・伊能嘉矩先生小伝. 板沢武雄, 1939.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000706187-00 -
荻野馨 編著 , 荻野, 馨, 1931-. 伊能嘉矩 : 年譜・資料・書誌. 遠野物語研究所, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002738974-00
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釜石市誌編纂委員会/編 , 釜石市誌編纂委員会. 釜石市誌 通史. 釜石市, 1977.
- キーワード
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- 伊能, 嘉矩, 1867-1925
- 板沢, 武雄, 1895-1962
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「日本近現代人名辞典」(臼井勝美[他]吉川弘文館 2001)p79より
いたざわ たけお 板沢武雄 1895~1962 昭和時代の歴史学者。特に日蘭交渉史の専門家
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323594