レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月01日
- 登録日時
- 2020/06/13 12:19
- 更新日時
- 2020/06/13 12:19
- 管理番号
- 市川20200101-01
- 質問
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解決
過去にあったという、市川市の聖蹟について知りたい。
- 回答
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『大辞林』第4版(三省堂2019)に、聖蹟とは「① 神聖な遺跡。 ② 天子に関係ある史跡。天皇行幸の地や旧都趾など。」とあり、市川市公式Webサイトの「市川市の文化財」のページ(http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1111000008.html 2020.3.21確認)を見ると、現在、指定されている市川市の史跡に聖蹟にあたるものはないことが分かる。
『文化財の社会史 近現代史と伝統文化の変遷』(森本和男/著 彩流社2010)p.433-480「第11章 明治天皇聖跡と国民精神総動員」及び『史跡で読む日本の歴史10 近代の史跡』(鈴木淳/編 吉川弘文館2010)のp.190-210「政治と聖蹟」(川越美穂/著)には、1928年(昭和3年)に史跡名勝天然記念物の保存事業が内務省から文部省に移管された後、聖蹟として明治天皇の行在所、昼餐所、御小休所等を、天皇滞在を象徴するとして史跡指定した
経緯が記載されている。また『文化財と社会史』p.728には、1947年に「GHQは文部省に明治天皇聖跡所在一覧の提出を求め、聖跡の保存指定解除へ進み出した。」「(1948年)5月20日に文部省で開かれた史跡名勝天然記念物調査会で、明治天皇に関する377件の史跡指定解除が原案どおり可決され、6月29日に官報で告示された。」とあり、明治天皇に関する聖跡が指定解除されたことが分かる。
『市川市変遷の概略と史蹟について』(市川市教育会/編 京成社 1936)p.28-30には、市川市で明治天皇聖蹟として、昭和9(1934)年11月2日、二カ所が指定されたこと、名称及び地番は①市川上出口行在所(市川字上出口3070番地の一部)②市川第六天前行在所(市川第六天前3030番地の1の一部)であることや行幸の日にち等の記載がある。また、国立国会図書館デジタルコレクションの官報検索でも「官報」第2352号昭和9年11月1日に告示があり、第6435号昭和23年6月29日に解除の告示が確認できた。ほかに、『明治天皇行幸年表』(明治天皇聖蹟保存会/編 大行堂出版 昭和8年 国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可)にも全国の行幸日の記載がある。
市川の指定地は、『千葉県東葛飾郡市川町地番反別地目入図』(日本全国市町村地番入地図刊行会 1930)や『市川市全図』(都築庸二/製 市川市所 1935)で地番が確認でき、上出口は現在の市川3丁目、第六天前は市川2丁目であることが分かった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000283095