レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年12月25日
- 登録日時
- 2015/12/25 17:22
- 更新日時
- 2019/02/01 09:57
- 管理番号
- 20151225-3
- 質問
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解決
京都にある斜めの道(後院通り)の来歴を知りたい。
- 回答
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いずれも本館の所蔵は、なかったが、以下の図書を案内した。
【1】京都市洛東グループ古都研究会調査・編集 有村政則編集・著 『京都通り名ものがたり』有村政則, 2004
【2】京都ゆうゆう倶楽部著 『京都人が書いた「京都」の本』PHP研究所,2008 (PHP文庫;き21-1)
【3】京都市 編『京都市三大事業誌』道路拡築編 第1集 第2集 第3集, 京都市,大正3(1914)
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945960 (2015/12/25 確認)
- 回答プロセス
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本学所蔵資料のうち、関連しそうな下記の資料をあたったが、適切な記載がなかったため、京都の歴史に関連する資料を多く所蔵されている、京都府立総合資料館様に協力を依頼し、以下の回答を得た。
<京都府立総合資料館様より>
『京都通り名ものがたり』 京都市洛東グループ古都研究会調査・編集 有村政則編集・著 有村政則 2004年 請求記号:K1||291.62||Ky6(開架)*p52~53に「後院通」の項目があり、来歴も記載。
『京都人が書いた「京都」の本』 京都ゆうゆう倶楽部著 PHP研究所 2008年 (PHP文庫;き21-1) 請求記号:K1S||291.62||Ky6(開架)
*p154~157「斜めの道」の項に、後院通について記載あり。
「市電を通らせるために生まれた道である。本来なら市電は千本通をまっすぐ四条通まで下がるはずだった」が、三条から四条の間にある銘木街の材木町が市電開通による町の分断に対して反発したため、斜めの道が作られたと述べている。
『京都市三大事業概要』 [京都市編] [京都市] 1912年 請求記号:MK1||518||KY6(2庫)
「後院通」の名は記載されいないが、「千本大宮線」としてp75に「三條通に至り東南に折れ四條通大宮迄新に道路を開設し・・・」とある。
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そのほか、本館でアクセスできた資料についての調査は以下の通りである。
【3】-【8】には、後院通の元となった、「京都市三大事業」の中の市電(千本大宮線)についての記載、図などがあり、【9】【10】には千本通に沿って西高瀬川があり、材木街が発達していたことが記載されている。
【3】京都市 編『京都市三大事業誌』道路拡築編 第1集 第2集 第3集, 京都市,大正3(1914)
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945960 (2015/12/25 確認)
【4】京・まちづくり史 / 高橋康夫, 中川理編 . - 京都 : 昭和堂 , 2003.7 本館請求記号:518.8 - Ta33
p.156 中川理 「3近代都市事業の実相」
「道路拡張と市電の敷設も、1912年(明治12年)に最初の市電が開通」として、京都の「三大事業」について解説がある。
【5】京都市営電気事業沿革誌(下) ; 市バス十周年 . - 東京 : クレス出版 , 1990.12 . - (公営交通事業沿革史 ; 戦前篇 4 . 京都市 ; 2) 本館請求記号:682.1 - Ko22 - 4-2
p.868 第一章 第一期電気軌道建設 第二篇 電気軌道事業 (ニ) 軌道ノ經過地名
「三. 千本大宮線 (略) 葛野郡朱雀野村大字壬生小字朱雀二十七番地先ヨリ斜ニ東南ニ折レ下京區大宮通四條錦大宮待ち百十八番地ニ至ル新設里道」
p.1072 第三章 事業経営 第三篇 運転系統 第一項概説
「当初の運転系統図(明治四十五年六月十一日」四条大宮-千本丸太町にかけての壬生車庫前からの図がある。
p.1072 同 第二項 創業当時の運転系統
【6】古都の近代 / 林屋辰三郎責任編集 . - 東京 : 学芸書林 , 1975.3 . - (京都の歴史 / 京都市編 ; 8) 本館請求記号:216.2 - Ky6 - 8
p.460-461 第5章都市圏の拡大 第3節交通網の整備 図145 市街電車の軌道
明治45.6.11として千本大宮線の中に、後院通(名称ナシ)が記載されている。
【7】京都市政史.上巻 / 京都市著 . - 京都 : 京都市役所 , 1941 本館請求記号:216.2 - Ky6 - 上
p.897 「第三章 電氣軌道事業 第四篇 市營事業 第三項事業施行 一 道路擴築 」
明治40年3月に市会の議決を経て、5月に京都府知事の許可を得たと記載があり。市電7線として、千本大宮線の記述が見える。
【8】京都府百年の年表. 7 / 京都府立総合資料館編 . - 京都 : 京都府 , 1970 本館請求記号:216.20032 - Ky6 - 7
p.132 明治39(1906)年 「12.24 市長、道路擴築案を説明(都市計画上、道路擴築事業の重要性を力説) 京都市營電気事業沿革誌」
p.134 明治40(1907)年「2.12 下京区平井安兵衛ほか73人、道路擴築電気建設問題に関する建議書を市長に提出 日出2.16 」
「5.22 府、京都市長から申請の市内道路擴築事業を認可。これより先、市道路擴築部、烏丸通・丸太町通・千本通の実測を開始。 日出 5・24」
【9】史料京都の歴史.第4巻 / 京都市編 . - 東京 : 平凡社 , 1981 本館請求記号:216.2 - Ky6 - 4
p.634 「西高瀬川の掘割が完成し通船が許可される 12 [府庁文書]明治三年六月二十九日 今般嵯峨より千本通リ迄西高瀬川堀割出来ニ付、来ル七月二日より上下通船差許候。」とあり、千本通が西高瀬川として利用されていたことがわかる。
【10】史料京都の歴史.第9巻;中京区 / 京都市編 . - 東京 : 平凡社 , 1985.1 本館請求記号:216.2 - Ky6 - 9
p.12「中京区概説 図2 仮製地形図に見える水路の配置」
p.13「二つの高瀬川 (略)文久三年(一八六三)、河村与三右衛門の設計に基づいて開かれた西高瀬川(略)ほぼ、千本通に沿って南下」と記載され、丹波地方から薪炭がもたらされるなどして、その付近には製材業や材木置場が多く集まっていたと、記載されている。
【11】
岡本訓明 「近代京都・三大事業における道路拡築事業とその影響」史泉 2008-01 No.107, p.61-78
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007153320
p.72 3.道路拡築事業の成立および施工
「(4)千本大宮線(略)三条通~四条通りまでは斜めに横断する道路が新たに開墾された。」
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その他、以下の資料には、「後院通」の記載をみつけられなかった。
『角川日本地名大辞典』角川書店、1982 「後院(通)」項目ナシ
中京区の近代の部分にも記載ナシ。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 交通史.事情 (682)
- 参考資料
- キーワード
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- 後院通
- 中京区
- 京都市電
- 壬生車庫
- 京都市三大事業
- 斜めの道
- 照会先
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- 京都府立京都学・歴彩館 Kyoto Institute, Library and Archives
http://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/index.html (2019/02/01 確認)
京都府立総合資料館は、平成28年9月14日に閉館し、京都府立京都学・歴彩館に業務が引き継がれた。
- 京都府立京都学・歴彩館 Kyoto Institute, Library and Archives
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000186283