レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/07/14
- 登録日時
- 2010/10/13 02:00
- 更新日時
- 2010/10/13 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-100150
- 質問
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解決
・米沢時代の伊達家の家臣である浜田伊豆守、大和守、下総守の資料、と一本柳館の資料の有無。
・伊達が手をつけた山形県内の鉱山の場所が記されている資料の有無。
- 回答
-
次の資料に参考となる記述があります。
・浜田氏について
資料1 坂田 啓著『私本仙台藩士事典』 坂田啓,2001年
pp.743-746に浜田大和守、伊豆守、下総守の名があります。
p.742より抜粋
「浜田
出自:伊達譜代 録・扶持高:18貫500文 召抱藩主:朝宗 格式:中の間
浜田大和:浜田伊豆守名跡相続させ候に付(略)
伊豆宗景:稙宗代宿老、塵介集に署名有り。
伊豆景隆:政宗代宿老、天正19年宮崎の陣で戦死。
伊豆景国:宿老、400貫文知行、後出奔家亡。
下総景次:忠宗代80貫文にて再立つ」
資料2 田辺 希文[ほか]著『伊達世臣家譜』 宝文堂,1975年
この資料は仙台藩士789家、藩医師110家の家譜を漢文体で書き上げられています。第1巻第2輯に浜田下総の二男友市を祖とする浜田家の事蹟があります。
第1巻第2輯 pp.206-207「濱田」の項の抜粋。
「濱田姓藤原、不知其先、以濱田下総景次第二男濱田五郎右衛門友市為祖、其裔為虎間番士(略)」
資料3 濱田直嗣「伊達な国をつくった人々 8」 『カルチャー7』 75号 2001年
この資料では浜田伊豆景隆について取り上げています。以下抜粋。
「(略)濱田の一族は福島伊達地方に拠点を持って以来、重臣の家系を保ち、父にあたる14代宗景は戦国時代の法律である塵芥集を天文15年に渦中で制定する際に参画するなどして、宿老の座をたしかなものにしている。おもに山形の長井地方を拠点にする伊達衆の中核をなす一家だった。米沢時代の政宗は、南奥羽の覇権をもとめて数々の行動を展開しており、二千石の禄高の景隆は、磐梯山麓摺上原の戦いをはじめ、会津の葦名氏や相馬氏、あるいは仙道と呼ぶ福島中部の武将との抗争に奔走し、智将の名をほしいままにしてきた。(略)」
・一本柳館について
資料4 『山形県の地名』 平凡社,1990年 (日本歴史地名大系 ;6)
pp.207-208、一本柳村の項に浜田伊豆守の館について解説があります。以下抜粋。
「(略)伊達氏時代、当地に浜田伊豆守の館があった。館は堀の内側に約二間半の土堤を築き、内部に母屋・土蔵等各種の建造物と堅固な長屋門を備えていたと伝える。現在の館ノ内はその外郭をなすという。伊豆守は上屋代六三軒の槍大将を勤め、伊達氏の陸奥岩出山移封の際随身、館には家臣樋口四郎右衛門が残って帰農した(略)」
資料5 『山形県史 1』 山形県,1982年
p.689の戦国の争乱の項に、長井地方における伊達氏関係の館跡と館主を記した一覧があり、そこに一本柳館と浜田伊豆の名があります。
・鉱山の名称と場所
下記資料から調査しましたが、見つかりませんでした。
資料5. 『山形県史 1』 山形県,1982年
資料6. 『山形県史 2』 山形県,1985年
資料7. 『米沢市史 1』 米沢市編さん委員会編.米沢市,1997年
資料8. 『鉱山史話:東北編』 渡辺 万次郎著.丸善,1968年
資料9. 『東北鉱山風土記』仙台鉱山監督局,1942年
資料10. 平 重道「仙台藩領における金山の沿革.」『地域社会研究』 第3-4号 1952年 pp.16-19
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 私本仙台藩士事典. 坂田 啓/編. 坂田啓, 2001.5【K280/サ7-2/イ】:
- 伊達世臣家譜 第1巻. 田辺 希文[ほか]/編 平 重道/解題. 宝文堂, 1975.9【K288/タ6/1】:
- 日本歴史地名大系 6. . 平凡社, 1990.2【291.03/ニ12/イ6】:
- キーワード
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- 伊達家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072199