レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月22日
- 登録日時
- 2018/05/31 15:03
- 更新日時
- 2018/06/06 17:43
- 管理番号
- 6000001940
- 質問
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解決
鳴尾村にあったという申川がのっている明暦頃の地図が見たい。
- 回答
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「にしのみやデジタルアーカイブ」でキーワード「鳴尾村」で検索すると数点の絵図がヒットする。
しかし、いずれもお探しの時代とは離れている。
西宮市立郷土資料館発行の『研究報告 第七集』のなかで「鳴尾村関係文書」の研究報告がなされており、申川に関する記述が見つかった。
申川については、「今津村との境にある申川は、元文四年(一七三九)申年に起こった近世西宮では最大級の洪水で枝川が決壊してできたと伝えられている。」と記述されている。
しかし、「これら元文四年以前の資料にすでに申川の名が書かれている。」として、「手形(西成尾村さる川端開発)」、「手形之事(畑買上に付)」の二つの古文書が紹介されている。前者は元禄六年(一六九三)、後者は元禄三年(一六九〇)の資料である。
また、「「証文之事(枝川筋に付)」は写しではあるが明暦元年(一六五五)の年号があり、その中にも「さる川」が出てくる。」と別の資料も紹介し、「今津・鳴尾村之境、武庫川之枝川筋三筋わかれ」と書かれているから、武庫川の枝川として分かれた三筋のうちの一筋が「さる川」ということだろう。鳴尾村と今津村の境は、明暦元年以前から北川は枝川、下流の南側では枝川から分かれた申川と決まっていたようだ。」としている。
さらに、「支所文書の絵図中には、枝川から分かれた川筋が二筋描かれ、そのうち一筋に「さる川」と書かれている。十七世紀前半(寛永八年(一六三一))以降と思われる絵図にも枝川から分かれた川筋が二筋描かれている。」として、「西宮市鳴尾支所架蔵文書87-1」と「西宮市鳴尾支所架蔵文書77」の二つの絵図が紹介されている。
西宮市鳴尾支所架蔵文書について西宮市立郷土資料館に問い合わせたところ、各資料の状態にもよるが、申請をしていただければ基本的には閲覧可能とのことであった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 研究報告 第7集 西宮市立郷土資料館/編集発行 2007、P5
- キーワード
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- 申川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000236635