レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/03/12
- 登録日時
- 2012/03/17 02:00
- 更新日時
- 2012/03/17 02:00
- 管理番号
- 1000000577
- 質問
-
解決
尾類(ジュリ)馬の始まりについて。
- 回答
-
『沖縄大百科事典 中 ケ~ト』(沖縄タイムス社 編・刊、1983年)
p389-390 「ジュリ馬」の項には、「旧暦1月20日の正月に行われる。辻遊廓の豊年祈願と商売繁盛の祈願祭。いつ頃から行われるようになったかは定かではない。」とある。
下記の資料を提供する。
『那覇市史 資料編 第2巻中の7』(那覇市企画部市史編集室、那覇市役所、1979年)
p136-137 「ジュリ馬」の項に、「ジュリ馬の起源や年代は明らかではないが、口碑によると、むかし首里の身分ある娘が遊女となって廓生活をしていた。…父母や兄弟に会いたい気持ちをどうすることもできず、…遊女たちを集めて、華やかな行列を催し、わが身もその行列に加わってなつかしい親や兄弟を見物に紛らして、…その姿に接しようと企てたのがこのジュリ馬の起源である。」という、『辻情話史集』からの引用がある。しかし、この祭りが明治41年までは夜中から夜明けにかけて行われていたこと、祭りの先頭を行くのぼりの文字も「辻」の下に「五穀豊穣」「祝豊年」など農業とつながりの深い文字も多いことから、ジュリ馬の起源は農業と関係の深い祭りではないかと考察している。
『歓楽郷辻情話史集』(来和 雀、沖縄郷土文化研究会、1970年)
p104-107 「辻名物・尾類馬」の項に、上記『那覇市史』が参考にした由来の説明の他、当時の尾類馬行列の様子が分かる記述がある。
『おきなわの祭り』(沖縄タイムス社 編・刊、1991年)
p46-48 「じゅり馬」について、「…この日の本来の眼目は「祭祀」であった。それがいつの間にか「じゅり馬」の名で呼ばれる「踊り行列」が脚光を浴びるようになった。」と述べている。
『沖縄の遊廓』(太田 良博、月刊沖縄社、1984年)
明治~大正時代の沖縄の遊廓に関する新聞資料を集めた本。毎年二十日正月の頃にじゅり馬の記事が見られ、20件ほどあるが、起源に関するものは以下の記事のみ。
p269 「尾類馬の起源は渡地遊廓(明治36年2月19日付)」には、ズリ馬の起源についてはたしかな記録はないが、役人が棒の先に馬頭をつけた竹馬にまたがり、渡地尾類(明治41年に那覇の仲島、渡地の両遊廓が廃止され辻遊廓に統合された。)を挑発して参詣したことから始まったという説が掲載されている。
『辻情史』(神山 邦彦、神山青巧舎、1966年)
p113-114 「尾類馬行列」の項に、「豊年になれば金が遊廓に落ちる、商売が繁盛するので、その意味に於いて年一回の尾類馬行列が盛大に催された…他説には郷里の親兄弟を呼び寄せて、各自の技を見物させる、御馳走を振舞うとの親孝行より出でしならんとあり。」との記述あり。
『じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第1集』(浅香 怜子、春駒じゅり馬民俗芸能研究会、2011年)
p71-76 「じゅり馬の由来」では、上記『歓楽郷辻情話史集』『沖縄の遊廓』記載の説が取り上げられている。さらに、琉球処分以前の「じゅり馬」の様子を記した資料はないものの、王府時代からすでに行われていた「那覇大綱引」の文書記録には、綱引き勝負前に辻のじゅり達が「スネー(芸能お練り)」をしている様子が残されていると述べている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 1 沖縄大百科事典 中 ケ~ト 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/2 p389-390
-
2 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇市企画部市史編集室∥編 那覇市役所 1979.1 K23/N27/2-2-7 p136-137 -
3 歓楽郷辻情話史集 来和 雀[等]∥著 沖縄郷土文化研究会 1970.11 K384/KU79 p104-107 -
4 おきなわの祭り 沖縄タイムス社∥編 沖縄タイムス社 1991.9 K386/O52 p46-48 -
5 沖縄の遊廓 太田 良博∥著 佐久田 繁∥著 月刊沖縄社 1984.12 K367/O81 p269 -
6 辻情史 神山 邦彦 神山青巧舎 1966.12 K384/KA39 p113-114 -
7 じゅり馬と辻村女の里(チージ)の研究 第1集 浅香 怜子∥編 春駒じゅり馬民俗芸能研究会∥編 春駒じゅり馬民俗芸能研究会 2011.2 K384/A84 p71-76
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 当館所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000103764