レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/8/9
- 登録日時
- 2010/10/18 02:00
- 更新日時
- 2020/03/21 08:46
- 管理番号
- 京資-152
- 質問
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解決
万里小路白河道という地名が大正15年にあったが、現在ではどの辺りになるのか知りたい。
- 回答
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京都市左京区吉田橘町内の志賀越道と鞠小路が交差するあたりだと思われる。
- 回答プロセス
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質問者によると、星野予備専門学校が大正15年に萬里小路白河道角に建設されたという記述をみたとのこと。
『京都市の地名』で萬里小路を調べると、平安時代に存在した通りで、現在の柳馬場通にほぼ該当するとされている。白河道についての記載はなかった。
『角川日本地名大辞典』(26 京都府上巻)でも同様の記述がみられた。
『京都大事典』では、「白川口」は現在の荒神橋付近を指し、荒神口を経て山中越で近江坂本方面へ続くとされている。
『京都市都市計画街路・道路』のp.191によると、「白川道」は志賀越道の旧名称とされ、起点は「北白川字重石1-1」、終点は「東今出川通吉田神楽岡町官有地」となっている。また、志賀越道への名称変更は、昭和3年5月24日の京都市告示第252号で決定したと記載されている。
星野予備専門学校の当時の所在を確認するため、昭和5年の『職業別電話名簿』をみると、学校の名前は記載されていなかったが、中等学校の項に「数学研究所社長 帝国入学試験研究会 星野半五郎 吉田橘町」とあった。吉田橘町は京都大学医学部の西側にあたり、現在の住宅地図を確認すると、吉田橘町内の東西に志賀越道があり、南北に走る「鞠小路」と交差する地点がある。
『角川日本地名大辞典』(26 京都府上巻)で鞠小路を調べると、大正4年には通りがあったと記載されている。
『京都市都市計画街路・道路』のp.186によると、鞠小路の旧名は「万里小路」とされ、志賀越道と同様、京都市告示第252号で名称変更が決定したとされる。
昭和3年5月24日の『京都市公報』を確認すると、鞠小路の旧名は「萬里小路」と記載されていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『京都市の地名』(日本歴史地名大系27) 平凡社 1979 1201p (当館請求記号K1/291.62/H51)
- 『角川日本地名大辞典』(26 京都府上巻) 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1982 1515p (当館請求記号K0/291.62/KA14/1)
- 『京都大事典』 佐和 隆研ほか編 淡交社 1984 1083,91p (当館請求記号K0/291.62/Ky6)
- 『京都市都市計画街路・道路』 京都市理財局財務部財産監理課編刊 2000 465p (当館請求記号MK1/518.84/Ky6)
- 『職業別電話名簿』 都通信社 1930 398,29,26p (当館請求記号K1/694.65/MI76)
- 『京都市公報』 京都市 (当館請求記号MK1/318.56/Ky6)
- キーワード
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- 萬里小路
- 鞠小路
- 白河道
- 志賀越道
- 星野予備専門学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072351