レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 山梨県立図書館 (2110005) | 管理番号 (Control number) | 9000006158 | |||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2009年11月14日 | 登録日時 (Registration date) | 2011年06月19日 17時36分 | 更新日時 (Last update) | 2011年06月19日 17時36分 | |||||||
質問 (Question) | 甲府市酒折にある山崎の刑場跡について知りたい。 | |||||||||||
回答 (Answer) | 「山崎(やまさき)の刑場(けいじょう)」は、甲州街道と青梅街道との分岐点にある甲府代官所の死刑執行場。江戸中期に設けられ、明治5(1872)年の大小切騒動処刑を最後として廃止するまで約50年間使用された。高さ2m40cmの「南無妙法蓮華経 身延山五十八代 日還」の供養碑がある。詳細については照会資料をご覧ください。 | |||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)をひくと「山崎の刑場」の項目がある。これによると「山崎(やまさき)の刑場(けいじょう)」は甲府代官所の死刑執行場。江戸中期に設けられ、明治5(1872)年まで使用された。高さ2m40cmの「南無妙法蓮華経 身延山五十八代 日還」の石碑があり、周囲にいくつかの墓碑がある。また、参考文献として『甲州風物誌』(上條馨著 柳正堂書店 1959年)があげられている。 2.1の『山梨百科事典』で参考文献として記載のあった『甲州風物誌』を確認。「酒折風物誌」の章のp51-52に「山崎の刑場跡」、p52-62に「盆の中日まかり出た百姓一揆の犠牲者:刑場跡から人骨がぞくぞく」の項がある。 3.この刑場跡のある甲州街道の関係資料を調査 ・『山梨県歴史の道調査報告書』第4集 甲州街道(山梨県教育委員会編・発行 1985年)のp112下段に「山崎刑場跡」の項がある。『裏見寒話』や『甲州夏草道中記』上巻に刑場に関する記述があると書かれている。 ・『今昔、甲斐路を行く』(斎藤芳弘著 叢文社 2002年)p225に、「山崎の首切り場跡」がある。「甲府城ご金蔵破りの高畑村の百姓・次郎兵衛、明治維新直前の「偽勅使事件」の首謀者・彫刻師一仙斎、維新直後の大小切り騒動の指導者、松本村(石和町)の島田富十郎ら三人もここで処刑されている」などの記述がある。 ・『甲州街道』(中西慶爾著 木耳社 1972年)p292-294に「香煙縷々たり山崎刑場趾」がある。「…斬り棄て場二ヶ所、首洗い井戸四ヶ所、骨捨て井戸一ヶ所という、かなり大規模な公認殺人場であったという」などの記述があり、供養碑の写真の掲載がある。 4.3の『山梨県歴史の道調査報告書』第4集で記載のあった資料を確認。 ・『甲斐叢書』第6巻(甲斐叢書刊行会編 第一書房 1974年)収載の「裏見寒話」を確認すると、巻之四「絵図」に「山崎 右方に横根観音の堂見ゆ、御仕置場等あり、櫻井坂折村いつれも見ゆる、穢多町あり、」と書かれている。 ・『甲州夏草道中記』上巻(山梨日日新聞社編 1970年)p14に、『山梨県歴史の道調査報告書』第4集に引用されているのと同様の記述がある。 | |||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土(峡中) | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||
登録番号 (Registration number) | 1000087745 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |