レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2017/03/16 00:30
- 更新日時
- 2017/03/16 00:30
- 管理番号
- 滋2016-0084
- 質問
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解決
長浜市近郊に鎌倉初期の古い地名で「山室堡」という所はあるか。
石田三成と関わりがある地名とも聞いた。
- 回答
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『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』によると、「山室保 鎌倉期よりみえる保名。坂田郡のうち。建暦3年2月の「滋鎮所領譲状案」に「桂林院大僧正門跡に譲り給う領」の1つとして「金武保、付けたり山室」とあるのが初見(鎌遺1974)。天福2年9月の「滋源所領注文」には双林寺房領として見える。この時山村保は金武保とあわせ、所当100余石と雑事を負担することになっていた(鎌遺4687)。(中略) これらによって同保が坂田郡条里の7条1里22坪・8条1里7坪を含む地域に所在したことがわかる。また「山室保内石田庄」と記したものがあり、これらによって現在の長浜市石田町を中心とする地域に比定される。(後略)」とあります。
『滋賀県の地名』にも、「現石田町付近に比定される。建暦三年(一二一三)の慈鎮所領譲状案(華頂要略)に極楽寺領として「金武保付山室」とみえ、金武保とともに青蓮院門跡領であった。天福二年(一二三四)の慈源所領注文(同書)では双輪寺坊領「山室金武保」とみえ、両保合わせて所当一〇〇石とある。(後略)」と記載されています。また、『改訂 近江國坂田郡志 第2巻 復刻版』にも記述があります。
『長浜市史 第2巻』の石田三成の先祖に関する記述に、「(前略)さらに、この石田景俊は、文明十四年(一四八二)、春運が坂田郡山室保(やまむろほ)の内、石田字中コヌの地一団を売却した証文に、下司(げし)として署名している。山室保の「保」は「荘」と同じような意味で、中世の荘園の一種と考えてよく、比叡山(ひえいざん)の門跡(もんぜき)青蓮院(しょうれんいん)の所領であった。山室保の位置は、現在石田町の三成会館が立つ石田氏館跡と、となりの八幡神社の間の道を境に、それより東の三方を山に囲まれた坂下(さかした)の谷を、こう呼んだ。石田景俊はそこの下司といって荘園の地元での経営を預かる荘官であったことがわかる。この文書は、山室保内での売買の成立をその役所上、石田氏が保証し、署名したことになる。この他、文亀(ぶんき)二年(一五〇二)の文書には石田氏は山室保の公文(くもん)としてみえる。公文も、同じく荘園の荘官である。(中略)以上のことから、石田家の祖先は、土豪という階層で、山室保の荘官をしていたことになる。(後略)」との記載があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 1 角川日本地名大辞典 25 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1979年 S-2900- 79 p.712
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2 滋賀県の地名 平凡社地方資料センター∥編集 平凡社 1991年 S-2900- 91 p.952 -
3 改訂 近江國坂田郡志 第2巻 坂田郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2160-2 p.10 -
4 長浜市史 第2巻 秀吉の登場 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 1998年 S-2161-2 p.393-395
- キーワード
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- 山室堡
- 石田三成
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000211810