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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2015-157
事例作成日
(Creation date)
2014年11月18日登録日時
(Registration date)
2016年01月27日 17時00分更新日時
(Last update)
2016年05月10日 17時33分
質問
(Question)
慶長(1595-1603年)頃に現在の深谷市にあった東方藩(ひがしがたはん)の分限帳が見たい。
回答
(Answer)
「東方藩分限帳」の存在、東方村を相給していたとされる各家の分限帳は確認できなかった。
東方村を相給していた各家の石高とそれを合計した東方村の石高のみ確認できた。

『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店 1980)
「慶長7年幕府領と旗本江原氏の知行、正徳2年幕府領の一部は旗本大久保氏の知行、明和2年幕府領の一部は旗本依田氏の知行、同5年幕府領の一部は大久保氏の知行、安永7年幕府領の一部は旗本久田氏の知行、文化8年幕府領の一部は旗本大岡氏の知行、同9年幕府領の一部は旗本安部氏の知行、天保年間幕府領は安部家領。同12年清水家領は幕府領となり、のち旗本白須氏の知行となる。村高は、「田園簿」で1675石余、うち田528石余・畑1147石余、「元録郷帳」1682余、「天保郷帳」1828石余。」
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(平凡社 1991)
 p832〈東方村〉の項 「松平丹波守康長(戸田康長)は天正18年(1590)に一万石を宛行われ東方城を居城とした。慶長6年(1601)康長は関ヶ原の合戦の勲功により一万石を加増されて上野国白井城(現群馬県子持村)へ移封、翌年には下総古河藩主となった。」
 「元和3年(1617)五月江原孫兵衛(政全)は「深谷之内東方村」で300石(幕末に至る)、寛永2年(1625)12月長谷川筑後守(正成)は東方村で300石をともに徳川氏から宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿によれば田方五二八石余・畑方一千一四七石余、幕府領と旗本江原・長谷川など六家の相給。国立史料館元禄郷帳では旗本四家の相給。「風土記稿」成立時は幕府領・岩槻藩領と旗本六家の相給で、家数二一六。」とあり。

『深谷市史』(深谷市 1969)
 p477 「正保年間(三代将軍家光時代)の領主・石高」に東方村の石高あり。「高 千六百七十五石八斗一升五合 内 五百二十八石三斗二升 田方 千百四十七石四斗九升五合 畑方」
 各領主の石高として、高室喜三郎御代官所(二十四石八斗六升五合)、江原孫兵衛知行(三百石)、長谷川刑部知行(三百石)、深谷喜右衛門・窪田喜左衛門御代官所(三百石)、戸田平右衛門知行(二百石)、戸田半平知行(二百石)、大久保新八郎知行(二百石)、亀井貞右衛門知行(百五十石九斗五升)とあり。出典は「武蔵国田園簿」。
『武蔵国田園簿』(北島正元校訂 近藤出版社 1977)p240-260「武蔵一国高寄」と照らし合わせると、戸田平右衛門と亀井貞右衛門以外は東方村以外にも領地があることが分かる。
 p479-482「(二)天保年間(十一代将軍家斉・十二代将軍家慶時代)の領主・石高」のうち
 p480「東方村(山本大膳支配所・大岡主膳正領分・依田伊織・大久保雄之助・安倍又四郎・久保田左近・江原孫兵衛・大久保新八郎)
  高 千八百十五石一斗七升六合 家数百八十三軒」とあり。出典は「武蔵国村宿領主石高帳」。
回答プロセス
(Answering process)
1 地名辞典を〈東方村〉で確認する。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(前述)
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(前述)

2 深谷市史関係資料を確認する。
『深谷市史』(前述)
『東方村関係文書 北光夫氏寄贈文書他 深谷郷土史料集 4』(深谷市教育委員会 2001)
 p3「近世初頭、東方村を中心とした地域には東方藩と呼ばれる譜代藩が置かれた。天正一八年(一五九〇)の徳川家康関東入国後、松平(戸田)丹波守康長が一万石を与えられ、東方城を居城とした。慶長七年(一六〇二)、康長が上野国白井に転封となった後は新たな大名は置かれることなく、東方藩は廃藩。(中略)松平転封後、東方村は山本喜兵衛、江原孫六、水野藤太郎、久保田寛六、伊藤助兵衛、戸田九蔵ら、旗本六名の相給地となった。(中略)東方藩領時代を除例外として、幕末に至るまで旗本領を中心とする相給村落であった。」とあり。
『徳川加除封録』(藤野保校訂 近藤出版社 1972)
 p51「壱万石 (従五位)本姓 戸田 松平丹波守康長 居邑 武蔵国幡羅郡東方略)[元和]3年3月15日、四万石ヲ加賜セラレ、封ヲ信濃国ニ移サレ松本城ヲ治ム。前封ヲ併セテ七万石。」とあり。
『藩史事典』(藩史研究会編 秋田書店 1977)
 p161「東方藩」「天正十八年(一五九〇)松平(戸田)康長(~慶長六)が幡羅郡深谷領の内東方において一万石を領知して成立。(中略)慶長六年(一六〇一)一万石を加増、上野白井城を賜わったが焼失。翌七年古河城に移る。移封の実質は東方より古河藩への所替えであった。」とあり。
『藩史総覧』(新人物往来社 1977)
 p142「深谷藩」「(略)なお、天正十八年(一五九〇)から慶長六年まで、戸田(松平)康長が深谷領内において一万石を領有している。」

『御家人分限帳』(鈴木尋 近藤出版社 1984)で、上記資料に登場した人物を検索する。
 大久保新八郎知行
 「一千三拾石 武蔵相模 下総 新八郎養子 平三郎子 大久保新八郎 丑三十三」と記載あり。
 高室喜三郎御代官所 江原孫兵衛知行 長谷川刑部知行 深谷喜右衛門・窪田喜左衛門御代官所 戸田平右衛門知行 戸田半平知行 亀井貞右衛門知行 いずれも記載なし。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
関東地方  (213 9版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
東方藩
分限帳
深谷市
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000187603解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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