レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/12/25
- 登録日時
- 2009/04/23 02:12
- 更新日時
- 2009/04/27 14:40
- 管理番号
- 埼熊-2008-132
- 質問
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解決
隅田川の川開きについて。①川開きは享保18年(1733)から行われているが、この期間以外は納涼で船が通ることは許されなかったのか。②いつ頃から川を自由に運行することができなくなったか。③年間を通して自由に川で遊べるようになったのはいつ頃からか。
- 回答
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『国史大辞典 3』には「納涼船の航行を許可した」とあるが、これ以外に「納涼船の規制」自体の記述は見つからなかった。
両国橋界隈の料理屋などの営業は、普段は日没までと定められていたものが、旧暦5/28-8/28の「両国夕涼み」の期間は夜半までの営業が認められた。納涼船と料理屋は関係が深いと思われ、夜半が活動の主となる納涼船なので、庶民を対象とした営業としての納涼船は「両国夕涼み」の期間だけ許可されたことになる。舟遊び自体(他の季節・昼の通行・大名等の夜の川遊びなど)については、1733年以前から行われていたと多くの資料に記述され、特に禁止されてはいなかったようである。明暦3年(1655)の「振袖火事」による御座船の徴用に伴う3-4年の舟遊びの禁止や、天和2年(1682)の大老堀田正俊の改革による屋形船の制限など特殊な例を除く。
- 回答プロセス
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自館目録を〈隅田川〉で検索し、ヒットした資料を調査した。また、国史関係の資料や、江戸時代の江戸風俗や江戸界隈の様子について書かれた資料を調査した。
『花火/下町/隅田川 両国の花火250周年記念誌』「両国花火・川開きの由来」の頁に、「「川開き」というのは納涼期間の最初の日という意味」とあり。
『国史大辞典』〈川開き〉に、「ある一定の月日まで河川の魚とり・納涼・水泳などを禁止していたものを公開利用させるはじめての日。(中略)隅田川の川開きは延宝の頃より盛ん。旧暦5月28日より8月28日までを両国夕涼みの期間。」とあり。
『隅田川』p57-58「舟遊び」に、「江戸太平の世の先端をゆくレジャーは、隅田川に舟を浮べて遊ぶ「舟遊び」だった。」とあり。また、舟遊びは慶安年間より始まったという記述あり。さらに、p73「両国の花火」に、「江戸の夏は川開きで始った。両国橋かいわいの茶店、見世物小屋、寄席、食い物屋の営業は、ふだんは日没までと定められていた。が、夏を迎える五月二十八日から八月二十八日までは、夜半までの営業時間が認められた。」とあり。
『江戸隅田川界隈』p7-8に、川遊びが納涼期のみではなかったことが記されている。また、川遊びには屋形船、屋根船が用いられ、その最盛期は屋形船が寛文-延宝元年(1661-80、屋根船が文化年中(1408-17)と記されている。
よって、享保18年(1733)の川開き開始より前にも、船による遊山は季節を問わず盛んであったことがわかる。
《CiNii》を〈屋形船〉で検索すると、佐々木隆三・畔柳昭雄「江戸~東京を対象とした屋形船の史的考察」(「学術講演梗概集. A-2, 防火,海洋,情報システム技術 2000」)がヒットした。「慶長年間(1596-1614)から遊山船の利用があった」とあり。
さらに、《東京都建設局》《NPO法人すみだ学習ガーデンのページ》《浅草い~とこ(時代屋)のページ》にも隅田川の川開きについて記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 参考資料
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- 『花火/下町/隅田川 両国の花火250周年記念誌』(隅田川花火大会実行委員会 1983)
- 『国史大辞典 3』(吉川弘文館 1983)
- 『隅田川』(朝日新聞社 1965)
- 『江戸隅田川界隈』(中尾達郎 三弥井書店 1996)
- キーワード
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- 東京都-歴史-江戸時代
- 隅田川
- 川開き-年中行事
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054139