レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/24
- 登録日時
- 2018/01/15 00:30
- 更新日時
- 2018/01/15 00:30
- 管理番号
- 6001028638
- 質問
-
解決
「銀座の柳は堺の人が植えた」と聞いたことがある。銀座と堺にどんな関係があったのかも含め、関連資料を見たい。
- 回答
-
関連資料をご紹介します。
堺に関する資料には、「銀座の柳は堺の人が植えた」等の記述が見られます。
・『堺歴史散歩:南蛮貿易と町人文化』(徳永真一郎/著 創元社 1971.3)
「大小路と柳―銀座の柳は堺から」(p.92-95)で、「堺観光協会のガイド読本の一項」として次の記述を紹介しています。
「堺の柳が江戸に移植されたのは、徳川家康が江戸に幕府を開いたときで、家康は堺の豪商を江戸に招いて幕府の経済活動に参画させた。江戸に移り住んでも堺の人たちは郷里をなつかしみ、江戸にもたくさんの柳を植えたのが、“銀座の柳”となった。」(p.92)
・『むかしの堺 [正編]』(別所やそじ/共著 堺児童文化振興会 1976.4)
「堺町と柳」(p.147)の中に、次のような記述があります。
「江戸にうつり住んだ堺の人々は、むかしから堺に多くあった柳を自分たちの町に植え、ふるさと堺をしのびました。それが銀座の柳であるということです。」(p.147)
・米谷修「銀座の柳と堺」『大阪春秋』6(1)(新風書房 1978)p.98
銀座の歴史についての文章に、次の記述があります。
「江戸に移り住んだ堺人は、常是家の銀座周辺に集住しただろうし、また柳も植えただろう」(p.98)
次にご紹介する資料は、東京、銀座関連の資料ですが、いずれにも「銀座の柳は堺の人が植えた」等の記述はありませんでした。銀座と堺の歴史に関する部分について、ご紹介します。
・『銀座の柳物語』(勝又康雄/著 銀座の柳物語制作委員会 [2003])
この資料は、「昭和7年に植えられ、昭和43年に銀座からいったん消えた「銀座の柳」復活とその育ての親の物語」(p.4)です。「第3章 銀座の柳と史跡碑案内」では、次のとおり「銀座発祥の地碑」が紹介されています。
「銀座発祥の地碑」(p.69-70)
「幕府は慶長17年(1612)に駿府の銀座役所を江戸通町京橋より南の四町(中央通り東側2丁目付近)へと移す。ここに銀座役所をおいて、堺の銀商であった大国常是に銀貨を鋳造させた。(以下略)」(p.69-70)
・『東京都の歴史散歩 上 新全国歴史散歩シリーズ 下町』(東京都歴史教育研究会/編 山川出版社 1988.12)
「銀座」(p.120-123)の項目で、銀座の歴史が次のとおり紹介されています。
「1887(明治20)年頃には街路樹は柳に統一され、1921年(大正10)年イチョウに変更されるまでの三十数年間、銀座の柳は道行く人々に長く親しまれた。(中略)もともと銀座は、幕府が現在の銀座2丁目あたりに銀座役所をおいた所で、総本締大黒屋常是(堺商人)の支配のもとで、丁銀・小粒銀などの銀貨を鋳造していた(以下略)」(p.120)
[事例作成日:2017年11月24日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
-
- 堺歴史散歩 徳永/真一郎∥著 創元社 1971.3 (92-95)
- むかしの堺 [正編] 別所/やそじ∥共著 堺児童文化振興会 1976.4 (147)
- 大阪春秋 新風書房 新風書房 6(1-3),7(1)<16-19> (6(1)98)
- 銀座の柳物語 勝又/康雄∥著 銀座の柳物語制作委員会 [2003] (69-70)
- 東京都の歴史散歩 上 新版 東京都歴史教育研究会∥編 山川出版社 1988.12 (120-123)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000228346