レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月26日
- 登録日時
- 2011/11/26 14:15
- 更新日時
- 2013/11/09 11:55
- 管理番号
- 2011-36
- 質問
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松山空襲により焼失した学校名について
- 回答
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【資料1】p902~903「松山市の空襲と分散授業」より抜粋
(略)学校は、松山・番町・味酒・新玉・東雲・八坂・清水・素鵞・雄郡の各国民学校、松山中央青年学校、松山・北予・城南中学校、松山・城北・東雲・済美・松山技芸高等女学校、松山工業学校、松山女子商業学校、愛媛師範学校、同付属国民学校、松山高等学校、松山経済専門学校などが講堂・記念館など一部を残してほとんど全焼した。(略)ただ、松山商業学校・愛媛青年師範学校・愛媛県立盲唖学校のみは、焼夷弾の落下数が僅少であったことと、学校防空隊の挺身的な敢闘で戦災を免れた。
- 回答プロセス
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【資料2】p44、【資料3】p20に被災の記載はあるが、具体的な学校名は一部のみ。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 四国地方 (218 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県教育史 第2巻』(愛媛県教育センター内教育史編集室、愛媛県教育センター、1971)<当館請求記号:K372 /12 /2>
- 【資料2】『松山市史 第4巻 現代』(松山市、1995)<当館請求記号:K231 /49 /4>
- 【資料3】『松山市史料集 第12巻 近・現代編 4』(松山市、1985)<当館請求記号:K231 /29 /12 >
- キーワード
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- 太平洋戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000097189