レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年02月11日
- 登録日時
- 2015/02/11 13:19
- 更新日時
- 2015/03/30 13:22
- 管理番号
- 秋田-1804
- 質問
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未解決
佐竹義宣は、離縁した側室の岩瀬御台について、葬儀は佐竹一族と同じ扱いで行うよう指示していた、という意味の文を何かで見かけたことがある。
この根拠となる記録が分かる資料はあるか。
- 回答
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下記古文書(翻刻)の中に、(岩瀬御台の)「葬儀を公儀にて執り行った」との記述は見つかったが、義宣が命じたことかどうかについて確認できる記録は発見に至らず。
・「蘆名記」付録 「岩瀬御台様御事」p.480~484
(『秋田叢書 第2巻』(秋田叢書刊行会、1929)所収)
p.481に、「寛永16年8月8日昌寿院様御年55にて御卒去、御葬礼公義にてなさる。」との文あり。
国立国会図書館デジタルコレクションにて全文閲覧可能。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174015
・「岩瀬御台」沼田平治/箸、 『横手郷土史資料』 第8号 p.18~24
p.21に「遺骸は須田美濃の寺、天仙寺に移され、横手給人は書夜御番を勤めた。而して葬儀の際は、公儀より代官主計頭が之に臨み、芦名家よりも代官を遣し、梅津半右衛門外数名の役人が赴いて、天仙寺河原で葬式を営んだ」との文あり。
・「岩瀬御台様の御事覚書」仙北郡角館町 学法寺蔵 『横手郷土史資料』第2号 p.22~24
p.23に「御葬礼御公儀より被遊主計殿山城殿其外数多御芦名殿よりも御代官被遣天仙寺川原にて
葬り申候」との文あり。
・「岩瀬御台の事」須田勇助翁蔵 『横手郷土史資料』第3号 p.11~12
p.12に「御葬礼御公儀様より遊被候鳴為」との文あり。
古文書ではないが、下記資料にも記述あり。
・『秋田人名大事典 第2版』(秋田魁新報、2000)
p.84「岩瀬御台」 「葬儀は、佐竹家によって横手の天仙寺(曹洞宗)で盛大に営まれた」と記述あり。
この文章の出典は、『仏教史余滴』(笹尾哲雄/著、大悲禅寺、1976)で、元は
「秋田魁新報」昭和43年4月25日夕刊に掲載した新聞記事。
・「岩瀬御台①:秋田藩祖佐竹義宣の悲運の側室」 『羽後公論』270号 p.51
「岩瀬御台が死んだ時、葬式は藩によって執行された。藩主名代としえ筆頭家老が派遣され、横手
諸士は全員不寝番で天仙寺を守った。」との文あり。
- 回答プロセス
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下記資料を確認したが、関連記述はなし。
・「岩瀬御台:秋田藩祖佐竹義宣の悲運の側室」 『羽後公論』271号 p.58
・『大日本古記録 梅津政景日記 9』(東京大学史料編纂所/著、岩波書店,1966)
索引 p.79 「岩瀬様」の項目あり
→ 第4巻 p.317に記載あるが、葬儀に関する記述ではない。
逝去の寛永16年は、範囲外。
・『佐竹家譜 中』(原 武男/校訂、東洋書院,1989)
p.547 寛永16年(ご逝去)の記述の中に、岩瀬御台に関する記述なし。
・『横手市史 昭和編』(横手市、1981)
p.4~5 「岩瀬御台」
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史.世界史.文化史 (20 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:メール
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000167533