レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/01
- 登録日時
- 2017/12/16 00:30
- 更新日時
- 2017/12/16 00:30
- 管理番号
- 滋2017-0001
- 質問
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解決
佐々木街道についてわかる資料を教えてほしい。
- 回答
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『守山市誌 [第3巻] 地理編』の「昔の街道」の章に、「佐々木街道は、六角佐々木氏が湖南地域を支配する軍事道路でありました。野洲の小南から乙窪、新庄を経て笠原、荒見、赤野井に通じ、さらに草津の木川の方まで直線的にのびていました。」とあります。
『小南愛郷史』の「七.道路交通通信」に「佐々木街道」の章があり、「(前略)一四世紀中ごろ北の京極佐々木氏と南の六角佐々木氏に近江が二分された。湖南制圧の六角佐々木氏は、安土の観音寺城を本拠に統治をしたために、永原、赤野井方面への往来もはげしく、そのために街道が整備された。佐々木街道として今日その名を止めていることはその当時整備され人馬のはげしかった主要道路であったと推測される。この道は小南で朝鮮人海道と分かれ、比留田・乙窪・野洲川北流を渡り、新庄を経て、笠原・荒見・布施野を過ぎて赤野井道に達する。(後略)」とあります。
また、当館の「新聞記事見出し検索」で「佐々木街道」を検索すると、平成18年5月25日の「京への近道 六角氏利用 【佐々木街道】(守山市)「みち」の風景11」が検出されます。記事は、湖南総局の中村幸恵氏の署名入りコラム記事で、佐々木街道の現地レポートと若干の歴史的考察が記述されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 8版)
- 参考資料
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- 1 守山市史 上巻 守山市史編纂委員会∥編 守山市 1974年 S-2124-1 p.480
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2 守山市広報 平成23年10月15日 守山市 -
3 小南愛郷史 小南愛郷史編纂委員会∥編集 小南自治会 1995年 S-2126- 95 p.344 -
4 守山市誌 [第3巻] 地理編 守山市誌編さん委員会∥編集 守山市 2001年 S-2124-3 p.474 -
5 「みち」の風景 11 佐々木街道 京への近道六角氏利用 京都新聞平成18年(2006)5月25日 p.25 -
6 近江六角氏 新谷和之∥編著 戎光祥出版 2015.1 S-2800- 15 -
7 戦国期六角氏の地域支配構造 新谷和之∥[著] 大阪市立大学日本史学会 2010年5月 S-2440- 10 -
8 六角氏領国支配機構の変遷について 細溝典彦∥著 中世史研究会 1980年 5-2440- 80 -
9 民俗文化 282号('87)-602号('13),604号('14)+ 滋賀民俗学会 S38 -
10 近江文化 1号('80)-24号('81) 近江歴史民俗博物館建設後援会 -
11 近江の地名 1号('86)-7号('91.10) 大津 滋賀県地方史研究家連絡会地名部会 S29 -
12 湖国と文化 1号('77)- 滋賀県文化体育振興事業団 S29
- キーワード
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- 佐々木街道
- 佐々木六角氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226581