レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月04日
- 登録日時
- 2011/08/04 12:58
- 更新日時
- 2015/08/05 16:24
- 管理番号
- 2011-22
- 質問
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解決
「南予」という地域呼称が使われるのは明治に入ってからか、今治地方を「東予」に含めるのも同時期か
- 回答
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【資料1】なんよ 南予 歴史的には近代以降成立した呼称で、宇和島・八幡浜両市があるが、全般的には農林水産業の盛んな地域である。
とうよ 東予 歴史的には近代以降の呼称と思われる。
【資料2】愛媛県の地域呼称で、広く用いられているのが東予・中予・南予の3つであるが、この呼称と区分は明治以降の愛媛県制施行後のことであろうといわれている。それは旧8藩時代の藩領域をもとに、明治4年11月に、松山・今治・小松・西条の4県が合併して松山県を、また宇和島・吉田・大洲・新谷の4県が宇和島県となり、さらに明治6年に両県が合併して愛媛県を、さらに明治9年に香川県を合併、のち明治21年に香川県の分離によって現制の愛媛県となったという離合のいきさつがあったことから東・中・南の呼称は明治中期以降に広まったと考えられよう。
【資料3】「東予」・「中予」・「南予」という地域名称は、県政のうえで何時ごろから用いられ始めたかの正式な決まりはないようである。(略)また、「東予」は、明治13年に設けられた西条中学校の前身を県立中学校東予分校と称していた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218)
- 参考資料
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- 【資料1】『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』(角川書店 1981年)<当館請求記号RK290/55>
- 【資料2】『愛媛の地理 第9号』(愛媛地理学会 1982年)<当館請求記号K290/20/9>p.33
- 【資料3】『愛媛県史 地誌 1』(愛媛県 1983年)<当館請求記号K200/31>p.22~24
- キーワード
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- 南予
- 東予
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089623