レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月15日
- 登録日時
- 2013/03/13 09:39
- 更新日時
- 2013/06/13 15:00
- 管理番号
- 埼熊-2012-278
- 質問
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解決
横須賀製鉄所で使用された煉瓦の焼成は、日本古来からの「ダルマ窯」だったか。
煉瓦を焼いた数、煉瓦の大きさ(たて、よこ、厚さ)、重さなど知りたい。また、実際に煉瓦を焼いたのは、フランス人か、日本人の請負人か。
- 回答
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『日本科学技術史大系 17 建築技術』などに、煉瓦の数量、大きさや、煉瓦を焼いたのが日本人の請負であることについて記載があった。
ただし、窯については「新しい窯」との表現のみであった。煉瓦の焼成に関する資料を調査
『日本科学技術史大系 17 建築技術』(日本科学史学会編 第一法規出版 1964)
p60〈煉瓦焼成記録〉の項あり。
「慶応3年12月26日(1868年1月20日)美賀保煉瓦竃の製造の入札が行なわれ、指定請負人村松伊勢が金780両で落札、こののち約1ヵ年は製鉄所側で煉瓦が製造されたらしい。しかし明治2年1月30日(1869年3月12日)からその製造を堤磯右衛門が請け負った。」
「最初の注文が製鉄所役人より発注されたのは翌明治2年2月1日である。この時から明治4年2月25日の31釜目までに焼成された煉瓦は、1釜約33,000本として、ゆうに100万本を突破すると言われる(秋本益利著「横須賀製鉄所の建設」(「横浜市立大学論叢 社会科学系列 vol11 no4」 昭和35年4月30日)」とあり。
「図1-29 ヨコスカ製鉄所の刻印入り煉瓦」の画像あり。大きさは235×113×48mm。
資料1-16A「美賀保元竃ニ而焼方仕候煉化石本数并御入用取調書」(辰十一月十六日)あり。
資料1-16B「煉化石御入用取調帳」(辰十月)あり。『日記が語る19世紀の横浜 関口日記と堤家文書』(横浜開港資料館、横浜近世史研究会編 山川出版社 1998)
p289-290〈煉瓦石〉の項あり。
「慶応3年4月8日に幕府は、舎密(化学)掛ボウェルに国内で耐火煉瓦を製造した功として賞金200ドルを下賜した。(略)翌年には新しい窯が作られ、煉瓦製造を請負に付することになり、9月27日の入札の結果、蔵田が一本当たり永三文二分で請け負うことになった。」とあり。(堤家文書より)
「表11 納入関係の御用徳」あり。11釜目までの下げ金、御用徳の記載あり。
「表12 明治2-3年煉化石焼方御用」あり。2釜目から28釜目までの申請・受領月日、下げ金の記載あり。インターネット情報
《GeNii》を〈煉瓦 & 横須賀製鉄所〉で検索した結果から
菊地勝広、初田亨著「横須賀製鉄所における建設材料の収集と調査研究 : 煉瓦・セメント・木材」(「日本建築学会計画系論文集 587」p191-197 社団法人日本建築学会 2005.1)
(http://ci.nii.ac.jp/els/110004849508.pdf?id=ART0008032385&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1358580185&cp= 国立情報学研究所 2013/01/19最終確認)
p193に「煉瓦」の章あり。
「『堤家文書』には、焼成に必要な材料と煉瓦の製造数量や金額等の記事が時系列的に詳述されている。」『建築雑誌 1号』に「東京周辺の煉瓦業者の製造人・寸法・重量・15分間吸水量。分割・圧砕重量・1万本あたり価格を調査した」とあり。
『建築雑誌 第1号』(日本建築学会 1887)p15-16に該当記事あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 建築学 (520 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『日本科学技術史大系 17 建築技術』(日本科学史学会編 第一法規出版 1964)
- 『日記が語る19世紀の横浜 関口日記と堤家文書』(横浜開港資料館編 横浜近世史研究会編 山川出版社 1998)
- 「日本建築学会計画系論文集 587」(社団法人日本建築学会 2005)
- キーワード
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- 横須賀製鉄所
- 横須賀造船所
- 煉瓦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128803