レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月26日
- 登録日時
- 2012/07/12 16:21
- 更新日時
- 2012/10/02 15:54
- 管理番号
- 埼熊-2012-081
- 質問
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未解決
日本中世の城で崖の上にあるものについて、上り下りするのに使っていた「綱」の材料は何だったか知りたい。
出典「岩手の地名百科」(芳門申麓著 岩手日報社 1997)p332-333「綱取」の項に以下の記述あり。
「葡萄の皮の大綱に取りすがって上り下りする(邦内郷村誌)所。」
- 回答
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中世、崖上の城で使われた縄及び綱取城で使われた縄の材料についての記述がある資料は、見つからなかった。
『日本城郭大系 3 山形・宮城・福島』(平井聖〔ほか〕編 新人物往来社 1981)のp575〈綱取城〉の解説には、「要害山南麓に大手があり、そこに綱に頼らなければ登れないような、かなり急勾配の坂道が続いている。綱取という名称は、これに由来するものと思われる。」とあるが、綱の材質については言及がなかった。
回答プロセスの調査経過を報告した。
- 回答プロセス
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質問の出典について確認する。
「岩手の地名百科」(芳門申麓著 岩手日報社 1997)の該当箇所に記述のあった「邦内郷村志」は、「南部叢書 第5冊」に収録されており、国会図・青森県・東京都・静岡県ほかの都県立図書館で所蔵。
「南部叢書 第5冊」(南部叢書刊行会編 歴史図書社 1971) 南部叢書刊行会昭和2年刊の複製.
内容細目:邦内郷村志(大巻秀詮著 太田孝太郎校訂) 邦内貢賦記(古沢康伯,市原篤焉編 太田孝太郎
綱取城について確認する
『日本歴史地名大系 7 福島県の地名』(平凡社 1993)
p802-803〈綱取城跡〉の項に以下の記述があるが、綱についての記述はなし。
「土合集落の北東、大塩川の谷口右岸、比高130メートルの要害山の山頂に位置し、漆沢村館ともいう。本丸に西隣する二の丸および本丸東方の空堀を隔てた外郭とからなる梯郭式の山城で…(以下略)」
『日本城郭事典』(秋田書店 1983)
〈綱取城〉〈漆沢村館〉の項目はないが、前掲資料の説明にあった〈梯郭式〉の説明あり。
p499〈梯郭式縄張〉の項に、「本丸を中心として出丸を連らねた型式の縄張法」とある。〈梯郭式〉は、縄張の平面構成の一種。
p504〈縄張〉の項あり。〈縄張〉は、地取り・配置の意で、上り下りする縄とは関連がない。
『日本城郭大系 3 山形・宮城・福島』(回答参照)
〈綱取城〉の項記載の関係主要文献より、記述中に引用のあった永正2年と明応9年の記述を確認するが、質問の回答に結びつく記述なし。なお、同じく主要文献としてあげられていた「耶麻郡誌」「異本塔寺長帳」は所蔵なし
ア「新編会津風土記」(『大日本地誌大系 27』雄山閣 1975 所収)p104-105
イ『重要文化財会津塔寺八幡宮長帳』(是沢恭三著 福島 塔寺八幡宮長帳刊行会 1958)p130.140
ウ「会津旧事雑考」(『神道大系 續 論説編 保科正之2』神道大系編纂会 2002 所収)p147.152
『裏磐梯北塩原の民俗』(北塩原村(福島県) 1977)
綱取城に関連する以下の伝説が掲載されているが、綱についての言及なし。
p506-508「綱取城と姫籠渕悲話」
p508-509「漆の館跡」
城郭関係資料を調査する
『城郭 日本史小百科 24』(西ケ谷恭弘著 近藤出版社 1988)
p202-203〈山城〉(やまじろ)について記述があるが、回答に結びつく記述なし。p211-212〈梯郭式〉の説明あり。
巻末索引に〈綱取城〉〈漆沢村館〉〈綱〉〈縄〉〈蔓〉なし。
『山城探訪 よみがえる中世』(氷見市立博物館 2010)
氷見市内には60ヵ所近くの山城がある。通覧するが、上り下りに綱等を使用する記述なし。
インターネット検索
《東京大学史料編纂所DB》を〈綱取城〉で検索すると2件ヒットするが、『日本城郭大系 3』に引用されているのと同一内容。
ア 明應9年1月12日 2条 陸奥蘆名盛高、其臣松本對馬を中野館に攻む、對馬、綱取城に奔る、盛高、逐うて之を圍む、 綜 8編 909冊 89頁
イ 明應9年2月5日 2条 陸奥蘆名盛高、綱取城を陥る、松本對馬自殺す、綜 8編 909冊 90頁
その他調査済み資料は以下のとおり
歴史関係資料
『福島大百科事典』(福島民報社 1980)
『福島県史 1 通史編』(福島県編 臨川書店 1984)索引なし。目次に〈綱取城〉〈松本氏〉なし。
『国史大辞典 15下』事項索引に〈綱取城〉〈漆沢村館〉なし
『国史大辞典 7』p459-462〈城郭〉に、回答に結びつく記述なし。
城郭関係資料
『図説中世城郭事典 1-3』(村田修三編 新人物往来社 1987)
『図説日本城郭大事典 1』(平井望監修 日本図書センタ- 2000)
『日本の名城・古城事典』(南條範夫,奈良本辰也監修 TBSブリタニカ 1989)
『日本城郭史話』(森山英一著 新人物往来社 1999)
『城のつくり方図典』(三浦正幸著 小学館 2005)
『日本の城郭-築城者の野望』(西野博道著 柏書房 2009)
『城郭の見方・調べ方ハンドブック』(西ケ谷恭弘編著 阿部和彦著 東京堂出版 2008)
『中世城郭史の研究』(小和田哲男著 清文堂出版 2002)
『日本城郭全集 1』(人物往来社 1967)
『日本城郭全集 2』(人物往来社 1967)p169-170「綱取城」についての記載はあった。
『城郭-その総てを解体・復元』(鳥羽正雄監修 日本城郭資料館出版界 1969)。
『城郭の歴史』(鳥羽正雄著 雄山閣 1958)
『日本城郭要覧』(井上宗和編 日本城郭協会 1961)
『城郭の見方・調べ方ハンドブック』(西ヶ谷恭弘編 東京堂出版 2008)他12点
植物関係資料
『図説花と樹の大事典』(柏書房 1996)p398〈フジ[藤]〉の項 「利用 鑑賞用とされるほか、丈夫なつるは古代より縄の代用としたり...」とあるのみ。
『資料日本植物文化誌』(八坂書房 2005)p140上段「九 藤 フジ」の項 「...諏訪市の諏訪大社の御柱を山から伐り出し、社まで曳いていく縄は、ノダフジの糸でなわれていた。またつる(茎)そのものも、捩じれてもなかなか砕けず、きわめて強靭なので、むかしは綱の代用として木材を川の上流から流して運ぶ筏をつないだり、炭俵を束ねたりするのにも用いられた。...」とある。
『フェンスの植物』(山と渓谷社 2000)
『図説草木辞苑』(柏書房 1988)
『平凡社大百科事典 12』(平凡社 1985)p1099「フジ 藤」の項 「...つるはひじょうにじょうぶなので、いすや籠などの家具として利用された、またかつては繊維をとり、織物にしたり、ロープのように利用された。...」
『藤なんでも百科』(春日部市 さきたま出版会 1996)p58藤蔓の繊維を用いて織った「藤衣」の作り方についての記述あり、綱については、なし。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 山城
- 綱
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000108513