レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年07月16日
- 登録日時
- 2016/08/18 15:18
- 更新日時
- 2016/11/02 14:23
- 管理番号
- 埼熊-2016-041
- 質問
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解決
赤穂浪士の浅野内匠頭で有名な浅野家が、現在の東京の赤坂と麻布の南部坂で引越しをしたと読んだ事があるが、この地名が現在も東京に残っているのかを知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
『江戸の坂東京の坂』(横関英一著 有峰書店 1970)
p135-139 「二つの南部坂と浅野屋敷」の項
「東京には江戸時代からの南部坂が2つある。一つは港区麻生盛岡町の南部坂で、もう一つは、港区赤坂福吉町と麻布今井町との境の南部坂である。」「赤坂の南部坂のほうが、麻生の南部坂よりも古い。」「明暦二年二月、南部山城守重直の赤坂築地の中屋敷と、浅野内匠頭長直の麻布の下屋敷とが、相対替になったのである。このとき以降、麻布の浅野屋敷は、南部屋敷に変わったのである。この南部屋敷のそばにあった坂に、南部坂という名が生まれたのも浅野屋敷がなくなって、そのあとへ南部屋敷が移ってきてからのことである。」とあり。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979)
p544 「なんぶざか 南部坂〈港区〉」
「港区六本木2丁目と赤坂2丁目の境をなす坂。」(港区赤坂福吉町と麻布今井町との境の現在の住所)
- 回答プロセス
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自館目録を検索する。
地名関連の参考資料を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『江戸の坂東京の坂』(横関英一著 有峰書店 1970)
- 『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979)
- キーワード
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- 東京
- 地名
- 南部坂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000196125