レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月14日
- 登録日時
- 2013/11/20 13:58
- 更新日時
- 2014/02/04 09:53
- 管理番号
- 埼熊-2013-066
- 質問
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解決
東京23区では、神社仏閣が他の地域に比べて密集しているのはなぜか知りたい。
- 回答
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以下の資料に、寺院が密集している理由として「寺町を構成し、城下町周辺を防備するため」との記述があった。
『東京都の不思議事典 下』(樋口州男〔ほか〕編 新人物往来社 1997)
p100-101「江戸・東京の寺町はなぜできたのか?」に、「江戸時代の城下町では、町の周辺部を中心に寺院がまとまって建っているところがある。これを寺町という。」
「(寺町のできた理由の)ひとつには、寺院の広い境内に目をつけ、外敵が攻めてきた時に兵隊を入れ、敵を防ぐ防衛拠点にするという理由があったようである。これは主として城下町の周辺の防備を目的としたもので、江戸の場合は北方に上野寛永寺、南方に芝増上寺という徳川家ゆかりの大寺院を置きその子院(大寺院に附属する寺院)群を含め寺町を構成している。」
「中野区や杉並区の寺町は明治時代以後にできたものである。一九〇三年(明治三六)にだされた東京市区改正新計画で、市内の寺院が道路拡張などの都市計画のため移転することになったもの」とある。
- 回答プロセス
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神社仏閣(社寺・寺社)に関する資料を探す。
『東京古社名刹の旅』(稲葉博著 読売新聞社 1987)
p228-230「あとがき」に、東京における寺社の分布変化に関する記述あり。
「東京の古社名刹を扱って気がつくことは、その分布が各時代ごとに大きく変わっていることである。古代に於ては国府が府中にあった関係上(中略)有名な大社寺は、ほとんど西に偏在し」「中世に入り太田道灌の江戸築城が行われ、品川湊の繁昌を見るに至ったが(中略)まだまだ重心は西にあり、東の神田明神、麻布の善福寺あたりが僅かに目につく程度である。」
江戸・東京の歴史に関する資料を探す。
『江戸と城下町 天正から明暦まで』(鈴木理生著 新人物往来社 1976)
p215-216「人口の集中」の項に、江戸城外郭付近の寺院の増加と移転に関する記述あり。
「ところが天正十八年から元和二年までに、平川では二十六寺、麹町では三十四寺、神田は六十五寺が新たに起立している。以後、各地とも明暦三年まで散発的に増加し、同年の大火でその大部分は外郭の外に移された。この移動の方法は都市計画というよりもむしろ都市政策的な配慮のもとに実施されていることがわかる。」「江戸の寺社の立地条件としては、入国以前からの寺社は城郭の整備につれて逐次城郭の外域に移転させられ、他から移ってきたもの、新しく建立するものも、その時点における市街地の外縁部に必ず建立を命じられている。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 『東京都の不思議事典 下』(樋口州男〔ほか〕編 新人物往来社 1997) , ISBN 4-404-02426-6
- キーワード
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- 寺院-東京都
- 神社-東京都
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000140788