レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/09/29
- 登録日時
- 2011/01/08 02:01
- 更新日時
- 2011/01/20 16:10
- 管理番号
- 埼熊-2010-074
- 質問
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解決
「嘉永3年(1850)4月、孝明天皇、七社七寺をして外患除去を祈祷せしめる」(『坂本龍馬』(池田敬正著 中央公論社)の巻末年表)中の「七社七寺」がどの神社と寺か知りたい。
- 回答
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『幕末の朝廷 若き孝明帝と鷹司関白 中公叢書』(家近良樹著 中央公論新社 2007)
p97に、以下のような記述がある。
「七社七寺に国家の安寧を祈ることを命じる~
(七社とは、伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂社・松尾社・平野社・稲荷社・春日社、七寺とは、仁和寺・東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺・東寺・広隆寺である。)」
他に関連情報のある資料として次のものを紹介する。
『孝明天皇』(福地重孝著 秋田書店 1974)
p231 「嘉永3年(1850)4月8日、七社七寺に仰せて、国家安寧を祈られるばかりでなく」とあり。
p229 「天保11年(1840)3月6日、10歳になり、立太子の儀のため、神宮、岩清水社、賀茂社、松尾社、稲荷社、春日社の七社と仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、護国寺、興隆寺の七寺に仰せて」とあり。(平野社が入っていない。東寺・広隆寺の代わりに護国寺、興隆寺が入っている。七社七寺はそのときにより異なっていたと思われる。)
『天皇皇族実録134 孝明天皇実録 1』(藤井讓治監修・解説 ゆまに書房 2006)
p193 「嘉永3年(1850)4月8日、頃來、異國船、遍海ニ出没スルに依り、是日ヨリ七箇日間、七社七箇寺ヲシテ國土平安ノ御祈祷ヲ修セシメラル」とあり。
『孝明天皇紀 1』(平安神宮 1981)
p903 「嘉永3年4月8日午庚頻年外國船邊海に出没するを以て七社七寺に仰せて國家安寧を祈らしめ尋ねて旨を幕府に諭して益其警備を厳にせしむ」とあり。
『幕末の天皇』(藤田覚著 講談社 1994)
p151 「嘉永3年4月8日に、宸襟穏やかならずということで、「万民安楽、宝祚長久御祈り」を、七社七寺に命じた。七社とは、伊勢、岩清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日の各社のことであり、七寺とは、仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺(三井寺)、東寺、広隆寺の各寺である。風雨の祈祷や五穀豊穣の祈願などでしばしば行われる、伝統的なものである」とあり。
『日本「神社」総覧』(新人物往来社 1990)
p409 日本神社年表 嘉永3(1850)4 「七社七寺に外患祈祷の勅」とのみあり。
- 回答プロセス
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出典とされていた図書『坂本龍馬』を確認するが、該当の年表がなかった。質問者に確認すると、『坂本龍馬』を元に作成した年表であるとのこと。
孝明天皇に関連する図書を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 『幕末の朝廷 若き孝明帝と鷹司関白』(家近良樹著 中央公論新社 2007)
- 『孝明天皇』(福地重孝著 秋田書店 1974)
- 『天皇皇族実録134 孝明天皇実録 1』(藤井讓治監修・解説 ゆまに書房 2006)
- 『孝明天皇紀 1』(平安神宮 1981)
- 『幕末の天皇』(藤田覚著 講談社 1994)
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『日本「神社」総覧』(新人物往来社 1990)
- キーワード
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- 孝明天皇(コウメイテンノウ)
- 寺院-歴史-江戸時代
- 神社-歴史-江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000076319