レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/07/15
- 登録日時
- 2020/09/16 00:30
- 更新日時
- 2020/09/16 00:30
- 管理番号
- 6001045218
- 質問
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解決
「下田織之助」という人物について記載されている資料はないか。奇兵隊に所属していた。鳥羽伏見でも戦ったという。
- 回答
-
以下の資料に記載があった。
・『山口県史 史料編幕末維新6』(山口県/編集 山口県 2001.6)
p.900に「都の郡 西方村下田八幡宮神主 半隊(司脱)令 下田織之輔 (中略) 横浜二残り居ルよしの分」
p.1138に、西方村下田八幡宮神主 下田織之輔基重 弐拾参歳」
との記載があった。
・堀田 暁生「真田山陸軍墓地についての2,3の問題 」『生駒経済論叢』7(1)(近畿大学経済学会 2009.7)p.279-294
p.280-283までが下田織之助の解説に割かれており、「下田織之助は9月2日に大阪に差し出されて、兵学校に入った者の1人であったとおもわれる」、「慶応4年には第二奇兵隊に属し、その後も戊辰戦争に従事し、明治2年8月には横浜にとどまっていたのだろう」などの記述があった。
この論文については、機関リポジトリで公開されている。(2020/7/17現在)
https://kindai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=10844&file_id=40&file_no=1
・『大坂城と城下町』(渡辺武館長退職記念論集刊行会/編 思文閣出版 2000.12)
p.290に(真田山旧陸軍墓地の)「明治以後で最初の死没者は、明治三年十二月一日に没した下田織之助である」
「当時大阪兵学寮があり、三年一月に長門、因幡、備前の三カ国から兵卒を募集し、三年九月には山口藩に対し一大隊大阪陸軍所に差し出すように命じている」
など記載されていた。
・『陸軍墓地がかたる日本の戦争』(小田康徳/編著 ミネルヴァ書房 2006.4)
p.57に「大坂城内に設けられていた陸軍兵学寮で一人の青年が病死した。青年の名は「下田織之助」、二五歳であった」とあった。
またp.58-59に、「織之助、山口縣人、生于周防国大島郡久賀村、同縣人下田河内養為子、明治庚午之秋入学兵学寮於大阪、同年十二月朔以病死、時年二十五」と墓碑銘に刻まれたとある。
・『防長回天史第6編上(10)』(末松謙澄/著 末松春彦 1921)
p.18に半隊司令として下田織之助の名前が記載されている。
・『維新戦役実歴談』(維新戦歿者五十年祭事務所/編 維新戦歿者五十年祭事務所 1917)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980714(2020/7/17現在)
国立国会図書館デジタルコレクションにあり、確認したところ、p.221(コマ番号124)に、「下田織之助は騎兵学校に這入て居て大阪で死にました」とあった。
[事例作成日:2020年7月17日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
奇兵隊に所属していた。
鳥羽伏見で戦った。
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 山口県史 史料編幕末維新6 山口県∥編集 山口県 2001.6 (p.900,p.1138)
- 生駒経済論叢 近畿大学経済学会 近畿大学経済学会 2003.10-2016.11 7(1)<19> (p.279-294)
- 大坂城と城下町 渡辺武館長退職記念論集刊行会∥編 思文閣出版 2000.12 (p.290)
- 防長回天史 第6編上(10) 修訂 末松/謙澄∥著 末松春彦 1921 (p.18)
- 陸軍墓地がかたる日本の戦争 小田/康徳∥編著 ミネルヴァ書房 2006.4 (p.57-59)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980714 (維新戦役実歴談(2020/7/17現在))
- https://kindai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=10844&file_id=40&file_no=1 (「真田山陸軍墓地についての2,3の問題」『生駒経済論叢』7(1)(2020/7/17現在))
- キーワード
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- 奇兵隊(キヘイタイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000287172