レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月07日
- 登録日時
- 2016/04/29 14:12
- 更新日時
- 2016/05/12 14:03
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2270
- 質問
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解決
宮村(現高山市一之宮町)にニホンオオカミの皮でできたという太鼓があるそうだが、この毛皮がどのようなもので、現在はどこが所蔵しているか。
- 回答
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『宮村史 自然編』(宮村,2004年刊)に記載がある(p.127-128)。これによると飛騨位山文化交流館が所蔵。
---(引用始め)--------------------------
長谷川忠崇、第7代飛騨国代官は『飛州志』(1728年)を編集しているが、この本のなかに不食用獣として「狼」をあげている。それからおよそ100年後の天保4年(1833年)宮村山下の彦助方を山犬(狼)が襲った記録がある。彦助は樵(きこり)を業として、常には他国に出稼ぎし、妻のはちとその娘よねとが老母に仕えて、夫の留守を守っていた。ある夜、老母が幼い孫を抱いて便所へ行こうとしたところ、どこからか突然一匹の山犬が飛びかかって、孫にかみつこうとしたので、老母は驚いてその場にあった薪をとって防いだ。ただならぬ物音に目をさました妻のはちは、娘のよねとともに老母を助けようとし、はちは燃えさしをかざし、よねは鉈をふるって山犬を追い払おうとした。山犬は恐ろしくほえたてながら、老母をめがけて飛びかかろうとした。娘のよねは手にした鉈を地に投げ捨てて、山犬に組み付いてこれをねじ伏せ両手でその喉首を締めつけ、妻はちはすかさず鉈を拾って山犬の頭を撃って、遂にこれをしとめたので、老母と孫は危ないところを助かった。このことが高山の陣屋に聞こえ、時の郡代大井帯刀は状を具して公儀へ上達した。幕府はその孝心と勇気を賞し、老母よりに対し養老扶持として一生の間、一日米5合宛、はちとよねに対しては、それぞれ白銀10枚を賜った。時によりは73才、はち40才、よね20才であったという。同家にはその時の褒状ともいうべき申渡が保存されている。その時退治した山犬の皮で張った太鼓が飛騨位山文化交流館に展示されている。
---(引用終わり)------------------------
以上のエピソードとともに「山犬退治の図(斐太後風土記原図)」と「山犬の皮の太鼓」の写真が掲載されている。
「山犬退治の図」原図が掲載されている『斐太後風土記』(富田礼彦著・住広造編 住伊書店,1915年刊)にも、上記エピソードが紹介されている(上巻p.169)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 哺乳類 (489)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000191755