レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月10日
- 登録日時
- 2011/09/20 12:20
- 更新日時
- 2012/03/30 11:52
- 管理番号
- 埼熊-2011-073
- 質問
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解決
南方熊楠と弟子の小畔四郎の往復書簡に出てくる「ムサシミツミネ」とは埼玉県の三峰山のことだと思われる。昭和初期頃の地図や資料に「ムサシミツミネ(武蔵三峰(峯))」の表記で載っているものがあるか。(出典:「熊楠研究」熊楠顕彰会 2000)
- 回答
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以下の資料に、「武蔵三峯」「武蔵三ツ峯」の記述があり、紹介した。
これらの資料では、「ムサシミツミネ」に限らず、大まかな国名+地名という表記が使われているようである。
(例)「紀伊田辺」「紀伊坂泰官林」「紀伊安堵峯」「紀伊稲成村」「朝鮮釜山」「北海道小樽」「東京芝公園」「豊前門司」など。
『大博物学者:南方熊楠の生涯』(平野威馬雄著 リブロポート 1982)
p198「大正十五年十一月 献進粘菌目録」に「大正13.10 武蔵三ツ峯 小畔四郎」とあり。
p267「72 D. Koazei MINAKATA in litt. 武蔵三峯 小畔」の記述あり。
『南方熊楠書簡抄 宮武省三宛』(笠井清編 吉川弘文館 1988)
p120-121「52 昭和3年10月29日付封書」に、「武蔵国三峰」の記述あり。
『南方熊楠:人と学問』(笠井清著 吉川弘文館 1980)
p55 資料(進献表)より抽出された小畔四郎が粘菌採集を行った場所の記載あり。
大正13年10月の列記に「武蔵三ケ峯。」と記述あり。
- 回答プロセス
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地名事典等を調査する。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1980)
『新日本地名索引 1 五十音篇』(金井弘夫編 アボック社出版局 1994)
『日本列島大地図館 テクノアトラス』(小学館 1996)
《読売新聞記事データベース「ヨミダス歴史館・明治大正昭和」》で〈三峰〉を検索する。
(三ツ峯、三峯はヒットせず)
「雪ごもり 三峰山に参詣の100余人、ふもとに下れず」(掲載日 1884.02.13)の記事あり。表記は「武州三峯山」。
このほかヒットした記事に「ムサシミツミネ」の記述は見あたらず。
武蔵国の絵図を見る(埼玉県立図書館デジタルライブラリーより)
〈三峯山〉はあるが、「ムサシミツミネ」の記述は見られず。
「秩父札所順礼神社仏閣古跡独案内」(〔菊水寺〕[18--])
「武蔵国全図」(菊池武辰著 橋本玉蘭画図 長嶌為一郎 〔安政3年(1856)〕)
「武蔵国全図」(下野屋理兵衛図 下野屋理兵衛 〔江戸末期〕)
「武蔵国独案内図」(大黒屋長右衛門 〔江戸後期〕)
「武蔵野国道案内」(大黒屋長右衛門 〔江戸中期〕)
その他の調査済資料は、以下のとおり。
『明治前期関東平野地誌図集成 1880(明治13)年-1886(明治19)年』(地図資料編纂会編集 柏書房 1989)
『三峰山』(三峰神社誌編纂室編 大滝村 三峰神社社務所 1965)
『三峰神社誌 講社篇、民俗編)』(三峰神社誌編纂室編 三峰神社社務所)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『大博物学者:南方熊楠の生涯』(平野威馬雄著 リブロポート 1982)
- 『南方熊楠書簡抄 宮武省三宛』(笠井清編 吉川弘文館 1988)
- 『南方熊楠:人と学問』(笠井清著 吉川弘文館 1980)
- キーワード
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- 三峰山-埼玉県
- 南方 熊楠(ミナカタ クマグス)
- 小畔 四郎(コアゼ シロウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000091149